世の中には、たくさんの噂がまかり通っています

誰かと会うとその場にいない誰かの噂話に、花が咲くことはよくあることです。

「元気にしているだろうか?」とか「最近こういうことを始めたらしいよ」とか。

私もそういったことは、よくあります。

噂話に花が咲くことは対象者を思い出す作業なので、悪いことだとは思いません。

けれども「悪い噂」いわゆるゴシップ的な話題ではどうでしょう。

あの人そんな人だったの?という類の噂話

噂の対象者が自分のよく知らない相手、もしくはまったく会ったこともない相手の話も出てきます。

よくある「あの人はそんな人だったの?」という悪い印象を持つような内容の話です。

ここで気をつけなければならないのは、噂話をしている当人のコンディションです。

嫉妬、私情、不安、主観などが混ざるようなコンディションに陥りながら、話しをしているということがほとんどです。

またこれらの感情が入ってしまうと「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということにもなります。

話しをしている本人は気がついていませんが、事実と空想が入り乱れた心理状態です。

また聞いている方まで相手の嫉妬、私情、不安、主観に巻き込まれ、自分の中の同じ感情を呼び起こします。

そんな中でよく知りもしない人のことを、脳に悪い印象で刷り込みをしていることが多いのです。

ストレス多き場所にしか、ゴシップは存在しません

井戸端会議で誰かのゴシップが起こることは、女性特有のもののように思われています。

しかしながら「人の不幸は蜜の味」というほど、老若男女関係なく多いのです。

ゴシップ系の話しが発生するときには、話をする人に強いストレスが介在しているときです。

「ストレス多き場所にゴシップありき」なのです。

安易な判断に頼るくらいなら、事実を集める習慣をつけましょう

仮にAさんからBさんのことを「極悪人」のような話を聞いていたのに、会ってみるととてもいい人だったなんてことはよくありますね。

もし噂の対象者に会うようなことがあるのなら、自分に直接害をなしているかという視点で考えた方がいいと思います。

けれども実際自分に害がなくても、噂を流すAさんが嘘をついているとは限りません。

そこにはAさんとBさんとの関係性が、深く関わるからです。

その間柄でしか湧かない感情というものが、人にはあるのです。

BさんがAさんへ過度に甘えて発した言動だったのかもしれない。

あるいはAさんがあなたのことを好きすぎて、Bさんへ近寄らせないようにしている可能性もあります。

またAさんには頭にくるBさんの言動が必ずしも、あなたがAさんと同じように腹を立てるとは限りません。

真相はあなたが実際Bさんと接するまで、誰にもわからないのです。

過去にとてもいい出会いがありました

こんな話を書くのも私自身、極悪非道だと噂される人と出会い、今も続くよきご縁がたくさんあるからです。

噂を信じて猜疑心を持ちながら会ってしまえば、つながらなかったご縁です。

「信じなくてよかった」と感じます。

しかしながら噂は事実だったということも、当然あります。

それと逆に「いい人」だと吹聴されて、自分にとってはそうでもなかったということもあります。

けれどもこればかりは事実を確認してみなければわからないことで、私自身の価値観が試される問題です。

ですから人の噂で誰かの人間性を判断するということは、自分の価値を落とすことになると考えます。

自分の価値観を上げるには、勇気を持って自分自身で事実を確認するのがいちばんです。

それが後々、自分を信じる力へつながるからです。


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