「かわいそう」を他者へ連呼する(一見)優しい人

20代のころ「かわいそう」が口癖のように、出てくる人と出会いました。

「そう思ってしまう◯さんは、かわいそうだよ」

「そんなことが起こったの?わー、その人かわいそう」

「ペットが病気になってしまったの?かわいそうにね」

など、ふたこと目には「かわいそう」という言葉を使います。

「なんて気持ちの優しい人なんだろう」とその人の共感力の強さに、私は憧れさえ抱いていました。

そのころ私は父を亡くしたばかりで、自分の父に対する複雑な気持ちを昇華できずにいました。

「寂しいといえば寂しいけど、悲しいといえば悲しい」

一方で「若くしていなくなってしまって怒っている自分もいるし、これ以上ガンの痛みや辛さを味わわせなくていいという、ホッとする気持ち」

どれも本当なんだけど、どれも当てはまらない。

「肉親の死に対する思いは、こんなに言葉にするのが難しいことなのだ」と思っていたときに、その人と出会ったのです。

案の定私も「かわいそう」認定をいただきました〜♪

初めての親の死、それも1年間ビッタリ張り付いての看病。

クタクタでした。

弱っていました。

するとその人は言いました。

「たった1人でお父さまの看病をしていたの?それはかわいそうですよー」。

「やっと私の気持ちをわかってくれる人がいた」そのときは確かにそう思いました。

その人からいただいたかわいそうな人認定は、弱った心にとても心地よかったのです。

「かわいそう認定師さん」の背後には、きらびやかな後光が輝いていました。

私は冷たい娘だと自分を責めていました

父が亡くなるまでの1年間は、父のいる場所に私あり。

その分「病気が治る」という期待も大きすぎて、亡くなったときは涙も出てきませんでした。

兄妹は泣いているのに、私だけ泣けない。

当時は髪の毛を茶髪に染めていて、しばらく美容室へ行けずにいました。

通夜や葬儀は待ってくれません。

すっかりプリンと化した髪の毛を、美容師さんに染め直してもらっているときです。

私はたった数時間前に亡くなった父のことをかき消して、笑いながら久しぶりの美容室を楽しんでいました。

ところが染め上がった髪はそれまでのダークブラウンではなく、赤毛に近い色に染まっていたのです。

「あ!」っと私が言うやいなや美容師さんも「ちょっと明るすぎに色が出ちゃいました?」

前に使ったのと同じ染料だったらしいですが、明るく染まることもあるそうです。(本当かいな?)

セリ:「明日お通夜なんです」

美容師さん:「どなたの?」

セリ:「父の。昨晩亡くなってしまったんです」(←ケロっと言いました)

美容師さん:「ご親族の髪色がこんなに明るくてはマズイですね、今から染め直しましょうか?」

セリ:「いいです。このまま参列します」

美容師さん:「明るくて気丈なんですね。亡くなられたなんて思いもしませんでした。ごめんなさい」

といったやり取りをして、お店を出ました。

「私ちっとも泣けないや。兄妹はあんなに悲しんでいるのに、冷たい娘だね。パパごめんね」と自分のひどさを再確認。

私のかわいそう認定のグレードは、さらにマシマシにされる一方で…….キレました!

「お父さまのご臨終に泣けなかったなんて、なんてかわいそうなんでしょう」

「まだ若いお父さまだったのね、かわいそうに」

その後もかわいそう認定師さんの、かわいそう評価はグングン上がります。

最初こそ「私の気持ちをわかってくれる人がいた」と喜んでいましたが、どんどん心地が悪くなってきます。

徐々に父の死から立ち直っていたのですね。

「ハァ⁈そんなに私や父はかわいそうなの?」という反発心が出てきます。

抗ガン剤治療のときも「いつも君が側にいてくれて、心強いよ」と父は言っていた。

「君の作ってくれる料理が、いつも楽しみなんだよ」と目を細めていた父。

亡くなる2週間前まで、大好きな仕事を続けることができた父。

いつも仕事で忙しかったし、私が中学生に上がるころから一緒にいる時間はわずかだった。

その空白の時間を最後の1年間で取り戻すかのように、一緒にいることができた。

「それのどこがかわいそうなんだーーーーー‼︎」と覚醒してしまったのです。

他者からの哀れみも、自己憐憫も同じことです

当時は「かわいそう」という言葉は上から目線、などとは言われていませんでした。

けれども私がかわいそう認定師さんから感じていた心地の悪さは「見下されている」という不快感でした。

それは「泣けない自分」に冷ややかな目線を送る、自分の姿と同じ人が引き寄せられたということ。

つまり自分と自分に似た心を持つ他人がタグを組んで、ダブルで弱っている自分を見下して、自信を失わせたことになります。

哀れみと賞賛は紙一重です

父が亡くなるという、望まぬ結果が出てしまったこと。

泣いてしまえば、自分のそんな虚しさを認めることになる。

泣けなかったのは私の心を自分で守る、最後の砦だったのではないかと思うのです。

一方で結果は望まぬことでしたが、命の期限は誰にもどうすることもできなかったこと。

その限られた時間のなかで、自分と父が補いあった事実というものは消えることがない。

結果が望んだものにならなかっただけで、内容はどこもかわいそうではない。

そうして最後まで父の幕引きに参加できたことには、娘として冷たくもなかったし悔いもない。

だから死後間もなく立ち直り、前を向くこともできました。

結果と事実を集めて分けてみると、そこには哀れみと賞賛のどちらも存在しています。

嘘の賞賛も自分を「嘘つき」として見下す作業です。

けれども事実に即した賞賛を見下しては、いつまでも後ろ向きに自分の足を引っ張ります。

自信を持ちたくても持てない人がいるのなら、望まぬ結果だけを見て自分を見下してはいないか、内容を今いちど確認してみてください。


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