焦りが取れない、緊張が取れない
親の顔色を見て育った人は、そうでなかった人よりリラックスしている時間が少ないです。
意識をしていても、いろんな人の顔色を見る癖ってなかなか抜けません。
いつも人やペットの顔色でさえうかがい、自分のご機嫌を取ることを忘れてしまうのです。
職場では上司や同僚の顔色を常にうかがい、自宅へ帰ると今度は家族の顔色をうかがう。
他者の顔色を見ずに過ごすことができる人と比べると、何倍ものエネルギーを「顔色見」に注いでいます。
また人には「投影」という周囲の反応と同調する心理が潜在的にあるので、顔色を見る人の家族は同じくあなたの顔色を見てしまう。
顔色をうかがう人でもいざ自分の顔色をうかがわれると、さらに気を使いどんどん消耗は激しくなってしまいます。
1日1回は自宅以外で1人の時間を過ごしてみませんか?
行きつけではないカフェ、図書館、バーなど注文をしてその商品を受け取れば、支払いを済ませるまで一切のコミュニケーションを取らずにすむ場所ってありますよね?
そういう場所で誰の顔色も気にせず、ゆっくりと1人でくつろぐ時間を取っていないと、他者からいつも監視されているような気が抜けないのです。
できれば普段はゆっくりとできない読書や手芸など、熱中できる物をその場所へ持ち込めるとさらに効果的です。
また他者へ過剰に気を使う人ほど、多動な傾向が見受けられます。
それは他者からの視線を気にしすぎて、ジッとしていられないからですよね。
精神的に疲れているのに、肉体的にも疲れてヘトヘトです。
もしカフェなどでジッとしていられなければ、映画館で過ごすこともオススメです。
ここは上映中は他者とのコミュニケーションを取らずにすむ、とてもいい場所なのです。
誰もあなたの監視をしていないどころか、自分がスクリーンを監視している側に回る。
また映画がいい作品なら、感動まで得ることができるというオマケがついてきます。
ちょっともったいないけど、つまらなければ別に上映中眠っちゃってもいいのです。
映画よりリラックスが目的ですから、病気になって通院するようなお金はかかりません。
なぜ顔色を見すぎてしまうのか?
そもそも顔色をうかがってしまうというのは「相手と調子を合わせたい」という欲求があるからです。
ここには「相手がいる」という前提があります。
相手が居る=要るということで、誰かと一緒に過ごしていないと不安という心理が根底にあります。
あるいは「1人になりたくない」という願望も考えられるでしょう。
つまり孤独を怖いものと、どこかで考えてしまっているということです。
もしそうした欲求が出てカフェや映画館で寂しくなれば、家へいつでも帰っていいのです。
毎日1人の時間を意識的に作ることで「誰かと過ごしていないと不安」という根底が抜けていきます。
また相手の顔色をうかがわない時間に慣れることで、他者の顔色を見る機会も徐々に減っていく自分に、ある日気がつくことができるでしょう。
時間がないときは1日10分でも構いませんし、仕事がお休みの日にまとめて2、3時間でもいいのです。
最初はぎこちないかもしれませんが、他者の目線が気にならないってものすごく楽なので、慣れるとクセになりますよ。
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