私の年齢(私47歳、母親75歳)になると、
親の介護問題というものを、考えなければならなくなる。
今はまったくの健康体で、
なんでも食べるしお酒もたしなむ母。
毎日忙しく趣味や、友達付き合いを楽しんでくれている。
これはとてもありがたいことだ。
でもある日突然ということも、
そろそろ考えておかなければならない。
こう思ったのは2年ほど前から友人のなかに、
親が初期の認知症の症状が始まったとか、
数年越しの認知症の末、
亡くなられたという話が出てきたからだ。
まずどの人たちも親の介護は、負担だと答えた。
私の年齢は会社員だと中間管理職か、管理職になっている世代だ。
会社勤務のなかでいちばん忙しい世代と言える。
親の介護を負担に思ってしまうのも、当然だと思う。
また申請から数年待って、
親が介護施設に入れたという人もいる。
介護施設に入れるまでは
認知症の親を自宅介護していたので、
施設に入ってくれてホッとしたと言っていた。
なかには仕事を退職して、
親の介護にあたったという素晴らしい人もいる。
人間は変化を嫌うものだけど、
歳とともにその傾向はどんどん強く頑固になる。
症状を遅らせる薬を嫌って、
飲んでくれないとか、オムツをしてくれないという嘆きも聞く。
40年ほど前までは寝たきりになってから、
平均数ヶ月から、1年で亡くなっていたそうだ。
今は医療技術の発達で、年単位。
長くて10年単位で介護は続く。
平均寿命が上がったのだから、老老介護で体が持たない。
私の祖母は101歳まで生きたけど、
介護にあたっていた長女は80歳を超えていた。
こんな長期戦を仕事がいちばん忙しい世代の人間が、
介護にあたれば、それこそ過労死問題になる。
そんな無理なことはできないだろうと言うと、
「親が死んだときに後悔をしたくない」
と誰もが口を揃えて言う。
自分が後悔したくないために、介護をするのか?
親の世代とは介護の条件がもう変わっているということが、
なかなか私たち世代の親には、理解をしてもらいづらい。
無理を押して介護をしようとすると、
親がしてもらいたい介護ではなく、
子供が自分に負担がかからないような介護を、
考え始める。
飲みたくないと言っている薬を、どうやって飲ませよう?
嫌がるオムツをいかにしてはかせるか?
そういったことに知恵を絞ると最期の最期まで、
親の嫌がることをしようとすることになる。
それもこれもすべては、
「亡くなったとき後悔をしないため」
後悔はしたくないけど、嫌がることはする。
その矛盾が私には理解ができない。
それってお互いに不幸なのではないだろうか?
私が27歳のとき父親は亡くなった。
その1年前から、
通いで食事を作ったり身の回りの世話をした。
最後の2ヶ月間は一緒に暮らした。
父は抗ガン剤を何度も打って弱り、なにも食べれなくなった。
それでも父は「癌は叩くもの」と言い、
通常より多い回数の抗ガン剤投与をやめなかった。
苦しむ様子は見ていられなかったし、
父も私も抗ガン剤が
健康な細胞まで殺してしまうことだって、知っていた。
これさえしなければ、もう少し生き長らえることもできるのでは?
そう思ったことは何度もあった。
さんざん迷ったあげく、
それでも投与を止めないという父の意志を尊重した。
亡くなるときに
「抗ガン剤さえもっと投与しておけば、治ったかも」
という後悔を残してもらいたくなかったからだ。
父を見送るときに、
私の判断でいちばん後悔がなかったのはそこだけ。
後悔があったとしたら、孫を見せてあげられなかったとか、
父を1度くらい旅行に連れて行ってあげたかったとか、
父が元気でなければ、楽しんでもらえなかったことばかりだ。
それはいい教訓として、母にしてあげられた。
孫を見せてはあげること以外は、すべてやり尽くした。
その代わりこれから母に介護が必要になれば、
私は見ないと早くから宣言している。
だから望む施設に入れるよう、お金を貯めておいてほしい。
お金も不動産も残してくれなくていい。
生きているうちに、
母の持っているお金をすべて使い果たしてでも、
望むような介護や治療をプロに頼んでほしい。
そうお願いをしている。
介護は施設でプロの手に委ねて、
私は母が寂しくないよう見舞う回数を多くして、
会うときには談笑していたい。
親は子供からの介護を望まないこと。
子供は親から冷たいと思われても、
しかたがないと割り切る必要が出てくる。
それでも親子でお互いに嫌がることをし続けて、
疲れや怒りの思い出で、最期を迎えることのないよう。
亡くなったときは産んでくれた感謝で見送ることも、
後悔を残さないための親孝行の1つだと私は考える。
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