中間子は基本競うことが嫌いです

兄弟が3人以上いる家庭でバランス調整役の中間子(真ん中っ子)は、基本他者と競うことを嫌う傾向にあります。

競うのが怖いというのとも違うし、気が弱いわけでもありません。

兄弟間でいちばん気が強い傾向にあるのは末っ子ですが、末っ子の経験もある中間子の気はむしろ強いのです。

ただ末っ子が生まれると上と下の兄弟間のバランスを取る役割を自然と担うことで、そこへエネルギーを注ぐことになります。

だから競うことに、さらにエネルギーを注ぐことが面倒な感じでしょうか。

また他の兄弟からムキになって張り合われるのも面倒くさいから、相手に気がつかれないように自ら負けてしまうということもあります。

中間子が「自分はいいから他の兄弟へ譲ってあげて」というのを、聞いたことはないでしょうか?

これは優しさから負けてあげるでもなく、ただ面倒なだけです。

そうです中間子が競わない裏には「自己を犠牲にすることで省エネをする」ことを意味しています。

中間子である私もご多分にもれず、競うことは面倒で仕方がない。

そんな私が、人生で初めて負けず嫌いを自覚した日

ずっと傍目には「譲り合いの精神の強い人間」のような調子で生きてきました。

ところがです!私が「絶対に負けたくない!」と負けたことで涙をする日が45歳のときに訪れました。

それが起こったのは、ライタースクールに入ったときでした。

毎週課題を提出するのですが、まず校長が採点した上位10名のみプリントされて全員へ配られます。

提出した限りで10位圏内に入らなかったことは、1度っきり。

ただその後でクラスの生徒全員の投票があり、その週のトップ3の集計を取るのです。

そこで競わせるのですが、なかなか1位が取れない。

ある日1票差で2位となったときに、家へ帰り泣いてしまったのです。

泣くなんてものではありません、号泣していました。

「ぐやぢいよ〜」と、なんども順位表を見てはヤケ酒を煽りました。

初めて自分に、闘志がメラメラと湧き起こりました

それまで他者と競うのも面倒だったわけですから、自分自信に対して闘志をむき出しにするのは記憶の限り1度もありません。

不思議と1位を取った人には嫉妬などなんの感情もなく、ただただ自分に腹を立てていました。

ずっとなんでもギリギリの省エネ体制で生きてきたので、余裕のある点数を取ったこともありません。

「腐っても合格」と言わんばかりに、最低ラインを狙ってかいくぐる人生でした。

大学の進級も「あと1単位足りなかったら留年決定」でしたし、運転免許の試験の合格ラインが90点だったと思いますが90点での合格でした。

脱落だけ避けられればいいと思っていたので、自分に対して初めて味わう屈辱でした。

それ以来、戦いはすべて「自分と」ということを覚えたのです

今だに他者から張り合われるのは、面倒だし苦痛の省エネモードです。

けれどもそれ以来「自分のためだけには頑張る」ということを覚えました。

そうして自分のために頑張れないようなことは、今となっては滅多に手をつけません。

他者に対しての行動も、それが自分にとって楽しいことでない限りしなくなりました。

「付き合い」や「義理」での行動に関しては皆無です。

自己犠牲心は中間子に強く出る傾向ではありますが、親から強く依存を受けた人にも出やすい傾向です。

「自分さえ我慢をすれば」と考える人は他者へは省エネモードで、自分へは全力モードに切り替えてみませんか?


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