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「自分の家族関係を離れた視点で見てみたい」
と申し込みをされた、関東地方在住のトモさん。

東北地方出身の20代後半男性で、
傾聴ライティングに初の男性登場だ。

お申し込みをいただいてから、
取材の日時や場所を決めるにあたり、
トモさんから届くスピーディな返信は、
こちらの質問を先回りして想定されたもので、
折り目正しく手を取らないように回答してくれていた。

おかげでスムーズに決めやすく、とても助かった。

まだ20代なのに相手の心を読むことに、
すごく長けている。

トモさんの大人な思考に驚いていた。

そうして取材の当日、少し先に到着していた私を見つけ、
大きく手を振りながら近づいてくる姿は、
無邪気な大学生のように見えた。

ものすごく大人な雰囲気を想像していた私は、
いい意味で自分の予想を裏切られ、
緊張しがちな人の多いなか、取材は和やかに始まった。

 

父親は恐怖の対象でしかなかった

トモさんは東北地方で生まれた。
生後間もなく広告関係の仕事をする父親の転勤に伴われて、
関東地方に住むようになった。

大学に入学をするまで父の郷里と、
関東を転勤で行ったり来たりして過ごした。

「父は仕事が忙しく、イライラしていたのでしょうね」

幼少期から両親の激しい喧嘩を見て育った。

父が母に怒鳴って罵倒し、
母親が泣いている姿を何度も見ている。

父のイライラは、トモさんにも容赦なかった。

トモさんは落ち着きのない子供だった。
とてもお調子者の面もあり、
小学校低学年の頃いたずらをして、
口の中が切れるほど強く父に殴られた。

母は慌てて父を止めに入ってくれたが、
普通の怒られ方ではない記憶として鮮明に残っている。

父方の祖父は柔道家だ。
豪快な人だし、大変な酒豪で厳格な人だった。

父には兄がいるのだが兄も祖父と同じく体育会系の人で、
厳格な雰囲気が漂う家庭に、父は末っ子として育った。

けれども祖父は孫のトモさんには優しくて、
素敵なおじいちゃんだった。
祖父の影響で柔道も若い頃から始めていた。

幼い頃の父は怖い人だったけど、
仕事をバリバリとこなす憧れの人でもあった。

決定的に「ただの怖い人」となり変わってしまったのは、
父がトモさんに勉強を教えるようになってからだ。

 

恐怖のスパルタ教育

中学生の頃から父はトモさんが頼んでもいないのに、
勉強する曜日を指定してきて、
その日はつきっきりで教えた。

勉強を教えてあげるという行為は「善行」だから、
誰も止めに入ってはくれない。

トモさんへの暴力を止めに入った母でさえ、
父がスパルタ方式で勉強を教えることに、
口出しはしなかった。

マンツーマンで逃げ場のない激しい叱責に、
トモさんの心はどんどん追い込まれて行った。

とにかく父のスパルタ教育から逃れたくて、
父から指定された日は部屋で寝たフリをするなどして、
やり過ごし、勉強を教わることを嫌悪した。

ちなみにトモさんの高校時代の成績は、
300人もいる学年生徒中で常に10番代に入っていた。

大学にだって現役で合格している。

父から逃げていても成績優秀な学生で、
別段スパルタ教育など必要がなかった。

一緒に柔道を習う友人の父親は、
試合になると
自分の子供の様子をビデオで撮影しながら、
大きな声で声援を送っている。

休みの日にはトモさんも一緒に
釣りへ連れて行ってもらい、
魚が釣れると針を取ってくれたりして優しくしてくれた。

トモさんにとってメチャクチャ楽しい記憶だが、
自分の父からはスパルタで厳しいばかりで、
褒められたこともない。

友人の父がとてもうらやましく思えていた。

 

上司の父、部下の息子

恐怖の対象でしかなかった父に対して、
トモさんは高校2年生になると、
このスパルタな父子関係に疑問を抱き始めた。

「勉強は自分でやりたいんだ!
上司と部下のような関係で教えるのはやめてくれ!」
とはっきり父へ伝えて、一度だけ揉めたことがある。

トモさんから見た父はまるで問答無用の、
パワハラ上司のように映っていたのだろう。

しかしながら父は
「そんなつもりはない」
と言うだけで、
トモさんの気持ちを汲んで、改善してはくれなかった。

内なる怒りを聞き入れてもらえなかったトモさんは、
だんだんと父親へ心を閉ざし、
やがて父を上手にあしらう術を覚えていった。

「はい、がんばります!」
などの前向きな発言をすれば父が黙ることを知り、
そのような発言しかしないようにした。

志望校も決して両親へ伝えることをせず、
無意識ではあっても秘密裏に大学を受験して合格した。

「トモは進路をまったく相談しない子だったよね」
と受験が終わったずっと後で、母親からそういわれて、
自分でもそうだと気がついたほど、作為的ではなかった。

「なるようになるさ、子供に任せている」
と言って子供の志望校に、
なるだけ口を挟まないようにしている
親の話を聞いたことはあるが、
子供が親へ志望校を伝えないという話は、
初めて聞いた。

そんなにまでして父に感情を伝えたくなかったのに、
なぜ父の住む場所から逃げずに大学まで行ったのだろう?
と聞いてみた。

「友達と離れたくなかったから」
とトモさんは答えた。
ずっと父の郷里に住む友達との関係は、
すこぶる良かったそうだ。

友達の父親も含めて、
父親が与えてくれなかった愛情の分を、
友人やその親が注いでくれていたのだろう。

第2話へ続きます。


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