突然感情に襲われることって、ありますよね

突然の体調不良、落ち込み、怒りに襲われると大抵は驚くことでしょう。

「いったい自分になにが起きているのか?」と恐れからくる怒りが出て、攻撃性を持つ人もいます。

ただこういうときって無意識にそれまでできなかったことや、無理だと諦めていたときの殻を破っていることが多いのです。

時間差で疲れが出るから、自覚をするのが難しい

たとえばずっと辞めたいと思っていた仕事を、辞めた数ヶ月後だったり。

気の張るプロジェクトを成し遂げた、数ヶ月後だったり。

筋肉痛は年とともに、症状が出るまでに時間差が生じますよね?

精神的な疲れも年齢が行けば行くほど、緊張の糸がほどけるまで時間差が出てくるようです。

若い人ほどすぐに出ますが、大人は症状が出るまでの時間を月単位、もしくは年単位で考えておいたほうがいいです。

別に原因を追う必要はありません

だからといって「あのことが原因か?」などの、原因を追う必要はありません。

ただ自分のコンディションが突然悪くなったことに、恐れたり自信を喪失しないでもらいたいのです。

「あー、きっとあの大きなできごとが終わって、今自分はホッとしているんだ」と考えると気持ち的に追われずにすみます。

疲れは出さないと、出て行かない

「山登りの途中で甘いものを摂らないほうがいい。摂るときはほぼ下り終わるころ」といったことを、聞いたことはありませんか?

それは急激な血糖値の上昇の次は、血糖値を下げようと脳が指令を出すからですよね。

血糖値が下がるとダルさが出るので、活動の途中だとケガをしやすくなるからです。

血糖値が下がってダルさを出すことで、体を休めます。

そうして体から疲れを、追い出してくれる仕組みになっています。

心も同じで緊張やストレスから生じる疲れが一件落着した後は、時間差はあれど一度出そうとする作用が働くのです。

だから心の疲れを出すことは、回復を促すために欠かせない正常な働きです。

「恥をかきたくない」という氣持ちで無理をしている

心が疲れを出そうとしているのに「今ここで休めば、誰かに迷惑がかかる」とか誰かから叱咤を受けて、頑張り続けると心身ともにずっと興奮させている状態になります。

「迷惑をかけたくない」という発想も、誰かから叱咤を受けて無理をしてしまうのも、結局は「恥をかきたくない」という発想からです。

仮に誰からも見られていなかったり、無人島に住んでいるのにそこまで根性を出しますか?

また「恥をかきたくない」という氣持ちは、日本人は特に強いのです。

プライドが高い民族とも言えますが、プライドは無理をしているほど強い頑張りを効かせてしまいます。

山登りで例えるなら何ヶ月も、何年も休みなく山を登り続けるのはプロでも無理でしょう。

それなのにプライドをバネに人は、ものすごい「根性」を発揮するのです。

恥をかくことを恐れない人が、回復も早くなる

「根性なし」だと言われようが「怠け者」だと言われようが、そんなの人から決めてもらうことではありません。

また疲れている相手へ発奮させる言葉をかける人ほどプライドが高く、自身も壊れた(壊れている)ことを認めることができない人が多いようです。

本当に力のある人は、敗北を認めることのできる人です。

そうして敗北から学び、次の手を考え出せる人が多いのです。

実際に「完敗をして白旗挙げて少し休んで考えたら、思わぬ力が出た」という人に会ったことはありませんか?

敗北前は「これがなければ自分は生きて行けない」とか「自分が負けることなどありえない」と言いながら、自分のプライドと格闘していた人たちです。

そういう人たちが「恥は一時のもの」と受け止めて立ち直ると、次なる飛躍をすることが多いと思います。

だから目先の一時の恥に捉われることより、少し遠くの自分を楽しみにしながら潔く恥をかこうではありませんか!

客観的に見てどういう人を応援しますか?

ここでまだプライドと戦おうとしている方へ、質問です。

もしあなたが傍観者だった場合、壊れてしまった人がどういった対応をしていると応援したくなりますか?

  • 苦しそうに無理をしながらも、根性で乗り切ろうとしている人
  • キツさのあまりフラッと旅に出てしまい、ニコニコ顏で帰ってくる人

私ならですよ、根性で乗り切ろうとする人は痛々しいし見ていたくない。

それに苦しそうにしている人へ、下手に手を差し伸べたら「余計なことをするな!」と怒られそうではないですか?

だから当然応援は、したくないです。

一方で「大丈夫かな?」と思いつつ見ていた苦しそうな人が、フラッと突然旅に出てしまったとします。

まず「旅に出るだけのエネルギーと、冷静さが残っているのだな」と安心することでしょう。

そうして自分の心を旅先で入れ替えて、ニコニコ顏で帰ってきて「次はどうすればいいかな?」と言ってくれば「こんなことなら私にも協力できますよ」と一緒に考える前提での提案ができると思います。

皆さんはいかがでしょう?

自分の考える「恥」は本当に誰にとっても恥ずかしいことなのか?

殻を破る前がいちばん苦しいと思うのですが、殻を破り始めさえしたら外部からも一緒に割ることはできます。

けれども殻を破る苦しみ(壊れて恥をかくこと)を恐れて殻の中で、ジタバタ暴れていても出てくることはできません。(突つかなきゃね)

だからそんなときほど「一時恥をかいてもいいや、自分を大切にする方が優先」だと開き直ることが大切です。

それに苦しくて旅に出てニコニコしながら帰ってきた人を、誰が「根性なし」責めるというのでしょう?

自分が考えている恥は、ごくごく限られた人にとっての恥なのかもしれません。

むしろ堂々と恥をかいて殻を破る人の方が、客観的に見て私はカッコイイと思うのです。

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