傾聴ライティング第7弾の主人公Kさんより、ご感想をいただいた。
狭い社会がすべてではないことを知り、自由になれた
狭い社会がすべてではないことを知り、自由になれた2
Kさんのストーリーはこちらから↑↑↑
以下ご本人の了解を得て、掲載をさせていただく。(感想文中のカッコ内は、私が補足したものです)
(インタビューの様子を)思い返す度に、何かセリさんに伝わるものがあったのか、
何か残る部分はあったのか、そればかり気になっていました。
(育った環境の)「濃さ」を外に出してみて改めて狭さと、
あまりにも当たり前にしてきたことの偏りを知ることが出来ました。
客観的に見るということ、断片を切り取るということ。
私の見えていなかった私の偏りを見せて頂きました。
私は子どもを通して私の中の(幼少期の)小さな私を、
一生懸命満足させようとしていたんだと思います。
人は一つの面で生きているわけではないので、色んな想いが入り交じっています。
シンプルに受け止めることで、偏りを一部として感じることが出来ました。
一生懸命良い母親でいるのではなく、私が一番楽しんでいる子どもで楽しみたいと思います。
味わい尽くした先がまた楽しみです。
読み返す度に新たな発見があります。今回は本当にありがとうございました。
傷ついたインナーチャイルドは、誰の中にもいる。
Kさんの場合は結婚して九州の実家を出てから、
実の母のように自分や家族のことを思って行動をしてくれた、
お姑さんや周囲のママ友たちから「甘える」ということを教えてもらったと言う。
これによって傷ついたインナーチャイルドは随分と、ほどけたそうだ。
また本来がまっすぐな性格で頑張り屋さんなことは、インタビュー中も伺えた。
頑張り屋さんは素晴らしい素質なのだけど「頑張る」ことと、
「無理をする」ということが混同されやすい。
「頑張る」のは楽しいこと。
「無理をする」のは義務感や我慢を感じながらやること。
また子供の為なら我慢をしてでも、無理をしなければならない場合もあるだろう。
それが日常的になってしまうと「頑張っている自分」と
「無理をしている自分」の境目がわからなくなりがちだ。
けれども「頑張る」も「無理をする」どちらもパワーの強い行為なので、
勢いで前へ進んでしまう。
「頑張っていた」つもりで、それが実は「無理」だったとしても、
とてつもない推進力で「無理」がどんどん前に進んで行く。
進んだ結果、自分では抱えきれないほどの無理が重なり、元の位置へ戻るのは至難の技だ。
「こんなに頑張っているのになぜ?」と、うつ感情が芽生えてしまったり、
自己評価を下げてしまう危険性も帯びている。
また「頑張って」いなければ傷ついたインナーチャイルドは泣き始めるし、
いつまでたっても自分の充足感は得られない。
そこに気づくお手伝いをさせていただけたのは、幸いだった。
「私が一番楽しんでいる子供で楽しみたいです」この言葉にすべてが集約されている。
ご主人のことも、双子のお子さんのことも、とても愛していることが伝わった。
これからは安心して、自分を愛する時間を作っていただきたい。
Kさん、ご感想をありがとうございました。
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