精神的に自律するためには、経済的自立が必須なの?

「自分は経済的に自立していないので、精神的な自律は無理なのではないでしょうか?」という不安を抱いている方、そうしてそれをコンプレックスに感じている方が意外に多いのです。

もちろん経済的な自立が、精神的な自律を促す原動力にはなります。

自分が稼いだお金を誰はばかることなく使える自由があることは、飛躍的に選択肢の幅を広げます。

けれども果たして経済的に自立している人すべてが、精神的自律をしているかと言えばそこは疑問です。

お金が貯められない人

いくら年収が高くても「宵越しの金は持たない」とは言わないまでも、預貯金が年収の割にあまりにも少ないという方々もいます。

ご本人が満足ならそれでもいいのですが、残念なことに「いつもお金に対する不安を抱えている」という方が多いのです。

私が思う自立、自律は「自由自在」なことです。

自分にやりたいことが出てきたとき全部とは言わないまでも、あるていどの満足感を自分の金銭でまかなえること。

仕事をしていようがいまいが自分のやりたいことを「自由自在」にできているのなら、それで経済的には自立していると私は思うのです。

正社員になったことがなくずっとバイトだからとか、実家から出ていない、あるいは専業主婦だというのは関係ないように感じるのです。

年収をいっぱい稼いでいるのに、いざという時に支払いができず、親や友人から工面してもらう人より自立しているということです。

つまり自分の自由度が高いことと、経済的自立とは必ずしも比例しないのではないしょうか?

自由度が高い人は仕事をしていなくても、自分の好きなことをしながらなんらかの収入を得る手立てを持っています。

「働かなくては恥ずかしい」などと言いながら、好きなことでもコソコソとするのは不自由です。

働かなくても、低収入でも自分の暮らしがまかなえるということは、やはり1つの大きな能力です。

誰もがそれをしたくても、なかなかそうは行かないことをやってのけているのですから。

大切な能力の恩恵を、どう活かすか?

働かなくてはお金の入ってくる方法がない人からは考えられないことかもしれませんが、実際に働かなくてもお金に不自由しないという人もいるのです。

反面そういう人は働いていない自分に、コンプレックスを抱いている場合が多いのです。

一方で働いていても「自分はこの会社に長くいるだけで、他では通用しない」ということにコンプレックスを抱いている人もいます。

また働いていても結婚をしていない、結婚もしていて働いていても子供がいないなど、他者からお金があることを妬まれてしまった経験から生じたコンプレックスがもとで、お金を目立たないように使い貯金をすることがままならない人もいます。

そういった人々は金銭的な自立ができていても、精神的な自律を阻まれてしまいます。

誰からも反感を買わないように目立たぬよう、安物買いの銭失いをして何に使ったのか自分でもわからなくしてしまいます。

また服や靴、美容など外見に関わることにばかりお金を浪費して、内面を磨く食や知識というものにお金を使わない。

外見を磨くことも大事なのですが、それが仕事の女優さんやモデルさんならともかく、仕事でもない人のアンバランスな使い方は経済的な自立を阻む要因の1つとなりかねません。

毎月自己投資に、お金をかけることをお勧めします

例えば外見にかけるお金が月々10万円あるのならそれを5万円にして、残りを書籍、興味のある知識を教えているセミナー、習い事などなんでもいいのですが「知的財産」として残ることに毎月必ず使い切る。

それまでゼロだったことに毎月一定のお金を費やせば、1年後はどんな自分になっているのだろう?

また知的財産が増えることで新たに挑戦してみたいことや、一緒に学びを深める同じ目的を持つ違ったつながりが出てくることもあります。

「知的財産」を深めることで人脈も広くなり、自分の社会性が広がり社会への貢献度も変わってきます。

仕事をしていなくても自分が社会的な接触を持てることで、コンプレックスは少なくなることも多いのです。

また仕事をしていてもコンプレックスが邪魔をして、貯金がままならない人も「知的財産」で社会といい循環を作り出し、余計な出費をしなくなることが多いのです。

なんにせよお金が入ってくる環境の中にいることは、そうではない人よりずっと有利な星の元へ生まれたということです。

そこで恥じてしまったり、お金を持っていないように見せかけることは、貴重な能力の無駄遣いとなってしまうのです。

お金が入ってくることにコソコソと目立たないようにするのではなく、堂々と知識や経験を身につけて他者(社会)へ還元すれば他者へ少なくない影響を与えます。

1番つらいのは経済的な自立を阻む人がいることで、精神的な自律まで阻まれること

つまり経済的な自立は精神的な自律なしでは、ありえないということです。

精神的な自律も「自由自在」がベースです。

自分以外の誰かが出資をしてくれなければやりたいことができないのなら、精神的自律も経済的自立も難しくなる。

また家族の経済的な自立を阻むことで、精神的な自律を奪う場合もあります。

なかでも自分の出資がなければ相手が生きていけないよう、相手を支配下に置く目的で経済的自立を阻む人がいちばん怖いです。

その毒牙にかかってしまうと精神的な自律はまず難しいので、自動的に経済的自立の希望も絶たれてしまいます。

義親の出資などが特に多いのですが「援助」という名目で依存をさせて「老後の介護」がセットとなって付いてくるケースは後を絶ちません。

自分の一生に関わることなのでセットを拒みたい場合は、援助を避けて支配下に置かれることを回避してください。

お金を持つことを潜在的に拒否してしまう人

最後に収入があるのにお金が貯められない人の中の極々一部に「お金がすべてなくなったときに、助けてもらいたい人がいる」というケースがあります。

これは病気になると他者が優しくしてくれることで、病気を作り出してしまう人と同じ心理構造です。

幼少期に十分甘えられなかった人が無意識に掛けてしまう心理ブロックで「お金があると、誰も自分を見てくれない」という潜在意識が働き、お金を手放してしまう人がいます。

そういう人は誰かに経済的な依存をすることで、自分の依存心を満たそうとしてお金を使い果たしてしまうのです。

こういった人に援助をしてしまうと依存されていることに応える「共依存関係」が成立してしまうので、いくらその人が気の毒に思えても援助をしないか、お金をあげて縁を切ることが賢明です。

共依存関係の先にあるのは依存された側が崩壊してしまうことがほとんどですし、依存した側は違う依存先を探しますが崩壊はしません。

いずれにせよ自立や自律をしている人は、誰がいてもいなくても「自由自在」なのです。

自立、自律をしたいと焦るのではなく、自分にとっての「自由自在」が何なのかを探していただきたいのです。

自立、自律に関する過去記事「自分を楽しませることができる人、できない人の明らかな違い」は←こちらから


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