「あの人と話すとやけに気を使ってしまう。今日は本当に疲れた」
青ざめた顔をした友人女性が、待ち合わせ場所にきてつぶやいたひとこと。
「あの人」とは私もよく知っている共通の友人だ。
私は「あの人」と話すときに気を使わない。だから疲れない。
でも目の前の友人が「あの人」にとても気を使っている様子は、何度も見たことがある。
本当に気の毒なほど気を使って、毎回疲れている。
その日は私と会う前に「あの人」と会ってくる用事があったそうだ。
「あの人」は姉御肌でグイグイ引っ張っていこうとする、豪快な「肝っ玉母さん」のような性格。
ときとして豪快な性格が暴走すると、私は「お母さん、うるさいよ〜!」ということがある。
私がそう言っても「あの人」はすぐに「ごめーん」と言って笑ってくれる、気のいい人。
けれども友人は少し控えめでとても気を使う性格なので、つい辛抱して「あの人」の暴走を受け止めてしまう。
暴走を受け止めてもらえた「あの人」は、気を良くして大暴走に発展するまで話し続ける、少し空気の読めない人なのだ。
大暴走をするときは、たいてい自分の仕事の話。
こちらが聞いてもいない興味もない、職業知識を延々と演説してみたり、またあるときは職場の同僚や上司の悪口。
どこかで止めないと、本当にずーっと話し続ける。
「私もセリみたく『うるさいよ〜!』と言えるようになれればいいのに」とその日の疲れ具合は、尋常ではない疲れ方だった。
関係性が切れてもいいという心づもりをする
友人が「あの人」を前に大切にしているのは、あくまでも「大人として」の振る舞いだ。
ビジネス関係にあるのなら利害関係が生じるので、必要な場合もあるかもしれないけれど、友人や夫婦の関係性においてそれは必要だろうか?
友人にビジネス的な感情で接触されたら、私なら見下されているように感じる。
少なくとも対等な関係ではないので、一緒にいて心地よくはないだろう。
友人と「対等」な関係性で接することができないと、気を使わずに接することは難しい。
このまま気を使い続けながら友情関係を壊さないだけのために、そんなに我慢をしてしまうのだろうか?
と、あまりにも疲れているので聞いてみた。
すると「さすがによくない気がしてきたわ。もしかしてもう会えなくなるかもしれないけど、本音で話をしてみる」と言った。
数ヶ月後に「あの人」から連絡がきた。
「彼女から突然話があると呼び出されて、これまで我慢をしてきたことを聞かされてショックだった」と落ち込んでいた。
けれども「あの人」も彼女に会うときは、とても気を使っていつも「楽しんでいるのかな?」と疑心暗鬼でいたそうだ。
そうして本音を聞いたときはショックだったけれど、逆にずっと疑心暗鬼で自分がい続けるより楽だったとも言っていた。
また彼女が本音を言ってくれたことで「あの人」も彼女に本音を言うことができた。
「自分はあなたみたく、なにを考えているのかわからない人が苦手」なのだと。
2人とも関係性を大切にするあまりに、本音を話していなかったことに気がついた。
そうしてどれだけ相手を傷つけまいと本音を伏せて友情を続けていても、どちらかが爆発したのならいずれ終わってしまうということも。
それをきっかけに、2人はお互いの「友情を失くす覚悟で」ポンポン本音を言い合う関係性になった。
こっちが見ていてハラハラするほどの本音なのだけど、言葉に毒がない。
逆に私から見て以前の「気遣いあっていた」ころのやりとりの方が、よほど毒にまみれていた。
力のある人たちって、気づいたらすぐに修正が効くというのもすごいなと思う。
本気で大切にし合っていたから失うことを覚悟で、変わることをよしとしたのだろう。
本音を言えない相手との友情は、いつか壊れる。
やたらと気を使う相手とは、不要な気遣いでお互いをダメにしている。
私にも気を使って、疲れてしまう人はいる。大事にしすぎて壊れてしまった友情もある。
これからの対人関係は、すべて本音で話せる人しか必要としないことを、2人のやりとりから学んだ。
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