タンザニアでの日常の楽しみ
小学校4年生から中学1年に上がるまで住んでいた、東アフリカのタンザニアでの話です。
自宅の敷地内には別棟で、使用人用の住居がありました。
夕方5時に仕事を終えると使用人たちは住居へ戻り、各自で夕飯の支度を始めます。
使用人達が帰宅するのを見計らって、私は彼らの住居へまっしぐらに向かっていました。
お目当ては「隣の晩御飯」
セリ:「ホーディー」(スワヒリ語でドアをノックをするときの「トントン」という擬音)
使用人:「カリブー」(「ようこそ」)
灯油が燃料の簡易コンロで、手早く料理が作られていきます。
調理の最中に私は質問攻めをします。
このコミュニケーションで、スワヒリ語を自然と教わりました。
セリ:「これはなんていうの?」
使用人:「ムチチャだよ。日本語では?」
セリ:「ほうれん草」
使用人「ホ・ウ・レ・ン・ソ。サーワ(OK)」
おかずが2品と、タンザニア人の主食のウガリ(トウモロコシの粉をお湯で練ったもので、そばがきのトウモロコシ版のようなもの)。
貧しい人でも、分け合う精神が根ざした国
私はスワヒリ語で遊ぶことと、どんな食べ物を現地人たちが食べているかのを知りたかっただけ。
だけれども彼らはいつでも「食べて」と言ってくれます。
そこでアツアツのウガリを現地人同様に手でつかみ、おかずに浸して口にいっぱい頬張ります。
使用人:「タム?」(おいしい?)
セリ:「タム・サーナ」(とってもおいしい)
すると使用人は満面の笑みで、自分も食べ始めるのです。
もっと食べろと勧められますが、私には夕飯が自宅で待っています。
味見を終えると「ありがとう、また明日ね!」と言って自宅へ帰るのです。
この待遇は、私が雇い主の娘だったからなわけではありません。
旅人にでも通りがかりの人にでも、施される「おもてなし」でした。
新聞記者だった父が、よく言っていた言葉があります。
「アフリカではなにかあっても、最終的にどうにかなるんだよ」と。
何もない国だったから
私がいた1977年当初のタンザニアはケニアと戦争中で、物資がとても少ない時代でした。
親は「戦時中の日本並み」だと言っていました。
現地人も「ここはハムナ(無)の国」だと言っていたほどです。
治安も悪かったですし、衛生状態もよくない。
だからこそ培われた、協力体制だったのかもしれません。
だけれども子供だった私たちには、別段不足感はありませんでした。
むしろ日本より豊かな気がしていたのは、縛りのない人たちの精神が補ってくれていたのかもしれません。
何氣ない記憶の方が氣持ちを楽にしてくれる
30年以上の月日を経た今でも夕暮れ時の、簡易コンロの温かな炎を思い出すことがあります。
ちょっと疲れたと感じたときに「タンザニア版、隣の晩御飯」のシーンを思い出すとフッと氣持ちが楽になります。
あの時代に戻りたいとか、そんなことではありません。
今現在、物資が豊かなことはとても幸せなことだから。
だけれども物資が豊かであればあるほど「もっと」という氣持ちも出てきます。
「無」で感じる幸福感は「有」から感じる幸福感とは、まったく別のものなのです。
ささやかな幸福感を積み重ねる
こんなに長い月日を経ても未だに思い出すということは、積み重ねの大切さだと感じるのです。
分け合う精神をジワジワと、多感な少女時代に植え付けてもらえたこと。
大きなサプライズ的なことは忘れても、ささやかな幸福感の積み重ねは忘れないものなのだと。
だから「この記憶さえあれば生きていける」とか「この記憶を喪失したら生きてはいけない」などの大きなできごとではありません。
本当に小さくてささやかな、日常の一部です。
心ない批判や、悪意を向けられたときも
地球上どこに住んでも心ない批判や、相手を落として自分の優位性を保とうとする人たちを、避けることはできないでしょう。
心の枯渇感は誰にも起こるし、枯渇感を感じると気持ちは荒んでしまうから。
だけれどもそこで引っ張られるかどうかは、積み重ねられた暖かな記憶の量で変えることができると思うのです。
枯渇感を感じている人に引っ張られて、自分まで荒んでしまわないためにも、何氣ない温かな記憶は大切です。
物質、精神双方の豊かさを保つことは可能だと思う
物質的な豊かさを保ちながら、分け合う精神性を交換しあうことも可能なのではないか?
そんなことをときどき考えます。
「自分を見て」も「自分が正しい」もどうだっていい。
また温かな記憶というものは、どんな人にでもあると思います。
思い出せないとしたら、これから日々集めることも可能です。
人の優しさは意識をすれば、どこにでも転がっているから。
自分が荒んでしまっても心を豊かにしようとする氣持ちになれば、荒みは最小限で止まるかもしれません。
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