「子供がいないのだから、自治会長になってね」
「子供がいないのに、これくらいのことどうしてしてくれないの?」
「子供がいない人を優先で残業、休日出勤をお願いします」
「子供がいなくて専業主婦で、毎日なにをしているの?」
「〜さんはあり得ない年齢で不妊治療を始めたわよ。もっと早くにしておけばよかったのに…」
もっと赤裸々なのは
「子供が欲しいのなら、とっとと離婚して違う相手を探したほうがいい」
と他人から自分の夫が言われているのを、耳にしてしまった人もいる。
こんなお節介な人間も、世の中にはいるのだ。
一生懸命働いていても、自分をよくするための勉強をしていても、
子供のいない女性への周囲からの目は、時として厳しいことがある。
自分の頼みごとが聞き入れられないと、
子供がいないことをネタにされて、捨て台詞を吐く人もいる。
子供がいないのを、憐れまれるのも同じことだ。
可哀想かそうでないかを、なぜ他人から決められなければならないのだろう?
自分が虐待をされて育ったから、子供を産むと同じように虐待をしてしまうのではないか?
と怯えてどれだけ子供を産むよう周囲から言われても、産まない選択をした人もいる。
そういった事情は、なかなか他人に言うことはない。
言ったところで「身勝手、わがまま」だと言われるだけで、理解が得られないからだ。
授からなかった私からしても、授かるかもしれない人が、
産まないという選択はもったいなく思えた。
その人は長男の嫁だったにも関わらず、周囲のプレッシャーに負けなかった。
それよりも虐待をされた自分のような悲しい人間を、1人でも増やさないことを選んだ。
「産まれたら可愛いよ。虐待なんてしないから大丈夫よ」とどれだけ義両親から説得されても、
「そんなの生まれてみなければ、わからないじゃない。可愛く思わなかったらどうするの?
子供が可愛いことくらい知っているし、子供は大好きよ。だからこそ産まないの」
彼女は周囲のプレッシャーや嫌味になど、
自分の子供に対する社会的責任を考えれば、傷つくことなどなかった。
また少子化に貢献していないと言われても、子供の数さえ増えれば解決する問題なのか?
ということを、私に投げかけてくれた人だった。
確かに保育園も、学童保育も、小児科もまったく足りていない現状だ。
預け先もままならない中で、それ以上子供が増えても働けない。
元から子供の数が少ないのに、引きこもりや、うつ病になる子たちも大勢いる。
引きこもりや、うつ病の子供たちを育てている親も、ものすごい十字架を背負っている。
その子たちが大人になっても働くこともできず、納税などできないから逆に税金を使う。
その悪循環とストレスがはびこる場所で、子どのいない人間が便利使いをされることを、
よしとする社会はいったい誰が幸せになるのだろう?
子供が増えたら国の問題が解決するどころか、国が滅びてしまうのではないだろうか?
子供を産まずに働き続けて納税してくれる大人が、不幸な子供が増えるよりマシだと思う。
子供を産まないことが、いいことだと言っているのではない。
授かりものだから欲しくてもどうにもならない側面があること。
授かることで大きな社会的責任を負うことになる大変さ。
そうして授からない者たちの事情はさまざまでも、
授かっても、授からなくてもどちらにも背負うものがあるということだ。
だから子供のいる、いないで他人からなにかを言われても、傷つかないでほしい。
その言葉の中には、安易に他人へ向けてはいけない言葉も含まれている。
本当に楽しんで慈しんで自分の子供を育てている人は、そんなことを言わない。
経済的な事情や、人生を自分の思うように生きていない。
そんな不満でいっぱいのごく一部の人たちが、自分たちのやるせなさをこちらにぶつけているだけだ。
そういう人たちは、近くにいるべき人たちではない。即座に離れよう。
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