「疑問は深ければ深いほど、
答えが向こうから飛び込んでくるのですよ」
そう言われたことがある。

・今月お金があと少ししかないけど、
どうしたら貧相ではない食事ができるだろう?

・鼻水が止まらないけど薬を飲むと眠くなるから、
薬を使わない方法はないだろうか?

・痩せたいけど運動もしたくないし、
食事制限もしたくない。

などなど簡単なものから難しいものまで、
次々と尽きることはない。

子供の
「どうして、なんで期」
とまではいかないにしても、
今でも私は疑問に思うことが人より多いようだ。

20代のころから思い描ている
自分のなりたい姿を聞かれると、

「心穏やかに生きていたい」
と答えていた。
その思いは今も変わっていない。

でもなかなかそれは、かなわなかった。
40歳を過ぎてパニック障害になってから、
ますます
「どうすれば自分は心穏やかに
生きていけるのだろう?」
という疑問は深くなるばかりで、
それまで書籍で学んでいるだけだった
心理学のセミナーへ出て勉強することにした。

心理学のセミナーに出ていたころ、
次々と疑問が出てきた。
家に帰って
「問題Aはこんな原因で起こるから
こうした対処が必要というふうに習ったけど、
似たような問題Bのときには当てはまらない。
どうしてだろう?」

そんな疑問がつぎつぎに出てきて、
次回のセミナーの質疑応答で聞いてみよう
と思っていた。

すると次回のセミナーでは、
自分の疑問に思っていたことすべてが
講義中にモデルケースとして出てきて、
質問をする必要がなくなった。

講義が終わって
「今日質問をしようと思っていたことすべて
講義の内容に含まれていたので、
質問をする必要がなくなりました!」

と講師に意気揚々と感謝を述べると、
冒頭で書いたことを講師から言われたのだ。

「今日お教えしたことも
セリさんの疑問が深かったから
理解ができただろうけど、
疑問に思っていなかった人には、
まったく頭に入っていない可能性もあるのですよ」
という返事だった。

それまで疑問を持つことを、
自分の知識レベルが低いのだと恥じていた。

家族からよく
「そんなに真剣に考えなくていいじゃない。
いろんな疑問が次々とあって、あなたの頭は大変ね」
とよく言われていた。
一方で、人からは
「わからないって言えるあなたは、強いね」
と言われることを皮肉と受け止めていた。

疑問が生じたときに、
人には今まで立っていなかったアンテナが、
張り巡らされる。
立っていないアンテナの情報はキャッチできない。
それだけのことだった。

とても困るような事態が起きても、
強く疑問を持てばアンテナが立つから心配ない。
飛び込んできた答えでひとつずつ解消していけば、
気がつけば問題は解決している。

考えてばかりで行動に移さないのはよくない。
けれども常に同じ考え方や対処法で、
さまざまに生じる問題はクリアできない。

また疑問がよぎっても
答えが飛び込んでこなかったり、
疑問そのものを忘れることがある。
それは今はその課題に取り組まなくてもいいということか、
たいして自分が問題にもしていないことを問題視して、
本当に取り組むべき課題から逃げている可能性がある。

面白くなかった本を途中で読むのをやめて、
本棚に長年眠らせていたものを
何気なく手に取りパッと開くと、
そのページにずっと前から自分の欲しかった情報が
載っていることがある。
これは偶然などではなく、
過去には立っていなかった
新しいアンテナが立ったという嬉しいお知らせだ。

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