諸条件が揃えば本当にそれをやってみたい?
本当にやりたいことって、どんなに悪条件でも始めてしまうのではないかな?
自分の意思とは裏腹に思えていても行動へ移していることこそ、本当にやりたいことなのではないのかな?と考えている今日この頃です。
周りの人を見ていて「お金が貯まったら」「仕事がひと段落着いたら」「子供の手が離れたら」なにかを始めたい、やってみたいという話題がよく出ます。
けれども何年も前に同じことを聞いていて、まったく同じことを今も言い続けている人が多いことから考えてしまいます。
それって自分に振り返ってみると、本当にやりたいことなのかな?とどうしても思うのです。
北欧へ行ってみたい、オーロラが見てみたいと高校の頃から願っていました。
自分に稼ぎのない高校時代は仕方がないにしても、今まだ本当に行きたければ行く条件を整えることは可能なのです。
時間だって作れるし、お金だってその気になれば用意ができるはず。
今は安いツアーや飛行機はどれだけでもあるのに、なぜか行っていないのです。
それなのに「行きたい」とも思っている。
これって「行きたい」と思っている気持ちに嘘はないけれど、本当でもないのではないかとも思っています。
「行きたくないわけではない」というのが本音なのでは?
それを「行きたい」と自分ですり替えてしまっているのが「いつかやりたいこと」の正体なのではないか?と感じます。
それほどやりたかったわけではないのに、なんとなくやっていたことの方が本当にやりたいことなのでは!?
「結婚したくてしたわけではなくて、なんとなく流れでそうなっていた」という人の話もよく聞きます。
そちらも同様に「そうなのかな?」と思ってしまいます。
あたりまえの話ですが結婚って他人同士が一緒になるのだから、そもそも面倒くさいものです。
違う環境で育った人たちの価値観が(私は異教徒同然だと思っている)一緒のはずもありません。
政略結婚ならいざ知らず、必ず自分の意思は働いています。
パートナーとのタイミングがたまたま合った、子供ができたなどのきっかけはあったとしても、同じ条件下にあっても結婚していない人もいるのです。
それなのにあえて結婚したということは、本当はやりたかったことだと考えられます。
けれども「したかったわけではない」と頭で解釈してそう言っているのです。
構想を練ることより、体が自然と行動へ向かうものを探す
つまり諸条件が揃わなければ始められないことというのは、本当にやりたいことではない可能性が高いということ。
悪条件でも行動に移していることこそ、本当にやりたいことではないのでしょうか?
それならば「今すぐ行動に移したくなること」から探した方がよくないですか?
そのうち別の動きたくなるものが出てくれば、それもまた行動に移してみる。
ジプシーのように習い事を次々にハシゴしたって、いいのではないかと思うのです。
「石の上にも3年」というのは、本当にやりたいことに出会ってからでないと3年も続かないでしょう。
あれもこれもと欲張ってみて「これは自分のやりたいと思っていたことと違った」ということがわかっただけでも、大切なことなのです。
「なにをやっても続かない」というのは、やり遂げることが目的になっているから。
けれども今の目的はやりたいことを探すということです。
やりたいことを見つけられた人が、人生を心豊かに生きていく人だからです。
すぐに見つかる人もいれば、なかなか見つからない人もいるのです。
「いつかやりたいと思っている」とか本当はやりたくてやったのに「やりたくてやったわけではない」という風に、自分の本音をごまかしてしまうことをやめましょう。
素直に行動へ移せることを次々とやっていれば、いつの間にか本当にやりたいことに出会えることもあります。
そうして案外身近なところに、本当にやりたいことが潜んでいる可能性も高いのです。

体が自然とナメコ蕎麦を食べるために、動いていました(笑)
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