今日はいきなり余談から始めてしまいます!
昨日私のブログの読者の方が、最近の投稿に対するネーミングをしてくださいました。笑
名付けて「共依存からの脱出シリーズ」です。
うまい!そうして嬉しかったな〜、テヘヘ。
何が嬉しいって共依存から脱出することを大変なこととか、暗いイメージで捉えられていないのだと勝手に私が空想しているからです。(違っていたらごめんなさい)
私の空想が正しければ、このブログの趣旨をよく理解してくださっているなぁと。
今回ネーミングをしてくださった方以外にも「書いていてよかった」と感じることがこの頃よく起こります。
視点を変えるのは時間がかかるのです
誰しもが自分の都合に合わせて物事を見ます。
つらいことほど視線を逸らしてしまうのはやむを得ませんし、無理のないことです。
視点を変える作業はいわば「怖いものを直視する」作業ですから冷静さと、自分や周りを客観視する力が要ります。
また「こっちを見た方が楽になるよ」といくら私が発信をしても、視点を変えるのは苦しい本人にしかできません。
まさに「馬を水辺に導く事はできるが馬に水を飲ませる事は出来ない」なんです。
それが楽しいこと、快適なこと、自分を成熟させること、引いては自分を取り巻く社会をよくすることにつながるのだと私は考えています。
自分が楽しい、快適、成熟して自分や周りが悪くなることは、ひとつもありません。
苦しい方ばかりを見つめるのはやめて、家族問題を「楽しい共依存脱出ゲーム」のように、自分の人生を見てみてもいいのではないでしょうか?
ではでは、脱出シリーズまだ続きます!
共依存関係から脱出するのは、怖いことなの?
さぁ、やっとタイトルにした本題です!
怖いか怖くないか?という問いかけに関しては、どの程度脱出したかによると私は思います。
親子間の息苦しい共依存関係から脱出したいと願い、抜け出すことがどういうことかを体感してスッキリしたとします。
ここでまず脱出した度合いが出ます。
「脱出している」と感じられた人と「そこそこ脱出したのかな?」としたような気がしている人ということです。
脱出している人と、したような気になっている人との違いがここから分かれます。
脱出できた人は共依存関係を構築している人が、親子や家族以外の他者の中にもいることに気がつき始めるのです。
すると次のハードルが出てきます
次のハードルとして依存関係に陥っている、他者たちと健全な心理的距離を取り始めようとし始めます。
たとえばマウンティングをされていたり、手下のように扱われていたことを対等な関係へ修正しようとします。
ここで相手の力が試されます。
マウンティングをしていたことや、手下のように扱っていることに気が付けるかどうかは相手の力次第です。
あなたの能力とはまったく関係がありません。
依存関係を継続的に続けられないくらいなら、あなたとの付き合いはナシという人もいます。(直接言葉に出してはいいませんがね)
また心理的距離を正常にすることに同意をしてくれてでも、あなたとの仲は壊したくないという人に分かれます。
その成り行きでわかることは「相手があなたへ何を望んでいるのか?」ということで、いい悪いではありません。
この場合も親子の共依存関係から脱出できた人は「去る者は追わず」ということが徹底できます。
つまりきちんと脱出した人は、これまで「相手から選ばれる人生」を生きてきました。
けれども共依存関係から脱出して、そこからの人間関係で相手を選ぶ立場へと切り替わるといことです。
そうして脱出したような気になっている人は、それからの未来でも過去の人間関係を繰り返すことになるのです。
なぜ親子の共依存関係から脱出したほうがいいの?
それはひとことで「楽に生きていけるから」としか私には思い浮かびません。
子供のころ自転車の補助輪をつけて走っていて、そろそろ取ってもいい年齢にさしかかったとします。
いきなり補助輪ナシになると、怖いですよね?←ここが共依存からの脱出途中だとします。
誰かが支えてくれて練習を始めますが、手を離されたとたん転んでしまったことはありませんか?
そうして何度も転んで手足を擦りむいても早い子は数分、遅い子でも何日かで何年もかからずに補助輪ナシに乗れるようになりますよね。
補助輪ナシの自転車に乗れるようになると、いかに補助輪のついていた自転車がこぎにくくて不安定だったかわかります。
スピードだってぜんぜん違うから同じ時間を漕いでも、遠くへ行くことができて行ったことのない場所まで行っています。
私見でしかありませんが共依存関係って、補助輪のついている自転車に乗っているような不自由なイメージなのです。
その気になって練習すれば誰にでも補助輪ナシが乗りこなせるように、誰にでも脱出できることだと私は考えています。
ただ途中でちょっと痛い目にあったり、かすり傷ができるかもしれません。
けれどもよほどのことをしなければ、大怪我も死ぬこともありません。
自分の人生を自由に乗りこなせるようになると、もう補助輪付きには乗れませんよ。
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