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関東在住のRさん。
華奢な体とキュッと引き締まった薄い唇に、
意思の強そうな印象を受けた。

傾聴ライティングに応募してくれた最初の女性は、
40代後半、派遣社員をしている。

サラリーマンのご主人と、2人の高校生の母だ。
今日は彼女の大学生までの生育歴と、その影響をご紹介する。

 

孤独だった小学校時代

自営業を立ち上げたばかりの父。
専業主婦の母の家庭に、一人っ子として生まれた。

小学校から、都内の有名私立お嬢様校に入学。
実家は父が事業を立ち上げたばかりで、
決して裕福ではなかった。

3年生のとき都内にあった自宅は近県へ転居した。
通学に電車を何回も乗り換え、
1時間半もかけて通うことになる。

しかも担任は暴力教師。何度も殴られた。

小さな体で満員電車に揺られるのは、とても苦痛だった。
親に近所の公立小学校に、通わせて欲しいと切実に訴えた。

だが体裁をとても気にする親は、
せっかく入れた私立からの転校を許してくれなかった。

お金持ちの通う学校で入学当初から
貧富の差を見せつけられ、友達はできなかった。

また学校へ行かせるだけで精一杯の経済状況だったので、
大人になるまで習い事というものをしたことがない。

遠距離通学で帰宅が遅くなるのと、
母親が極端に近所づきあいを嫌う性格だったため、
転居先にも友達はできなかった。

「いちどでいいから家に帰って、
ランドセルを放り投げ、友達と遊びに行ってみたかった」
と寂しそうにつぶやいた。

 

男の子が欲しかった父

父は男の子が生まれてくるのを渇望していた。
「男の子が生まれたら鍛えたい」
という夢があった。

皮肉なことに女の子だったRさんが生まれた。
父はRさんがちょっとの口答えをしただけでも許さなかった。
容赦なく殴って「鍛えよう」とした。
殴られると泣く。
泣くととまた殴るの繰り返し。
殴られて手形のついた頬で学校へ行ったこともある。

当時父は事業を立ち上げたばかりで、
経営が安定せず家は貧乏だったので、
そのイライラを父はぶつけていたのではないだろうか?
と言った。

身体的な暴力に加えて、言葉の暴力もひどかった。
いちばん傷ついたのは
「おまえはブスだ」という言葉。
なにかにつけて
「ブスのくせに」を連呼された。

この言葉は思春期に入ると「醜形恐怖症」として現れた。
自分を醜いと信じ込み「醜さゆえに嫌われているのではないだろうか?」と、
ビクビクしたり強迫観念に襲われる。

 

守ってくれない母

遠距離通学を始めた小学校3年生のときから、
痴漢にあうようになった。
揺れにまかせて抱きつかれたり、体を触られたりした。
怖くて相手の顔も見れない。

止むに止まれず母へ相談した。
すると母からは
「あんたがちゃんとしていないからだ!」
と逆に怒られた。

「ちゃんとしなくちゃ……」
その呪縛は親にも、学校の先生に対してもついて回る。
緊張が解けることはない毎日。

「子供が痴漢にあっているなどと言ったら、
親は通学に付き添いませんか?」
彼女から初めて怒りの声がこぼれた。

母は父から自分が殴られていても、ただジッと見ているだけ。

家にも学校にも居場所がない。
孤独でどうしようもない日々だった。

 
やっと友達ができた!

エスカレーター式で中学に入ると、
中学から入学してくる公立小学校の生徒たちがいた。

この子たちはお金持ちの子ばかり通う学校の、
バブリーな校風に染まっていない。
自分と同じ感覚を持つ子と接することができた。

中学で友達はいっぱいできたか?をRさんに聞いてみた。

大きく首を横に振った。
やっと話せる相手ができて、友達にもなれた。
でも親の暴力、暴言や友達のいない小学生時代を送ることで、
すっかり自信のない子に育ってしまっていた。

なんとか友達と遊ぶことはできたけど、
心を許すまでには至らなかったと答えた。

高校まであった学校だったが、
当時父の事業がうまくいき、
全国に支社を出すほどにまで成長した。

父に経済的、心理的な余裕ができたこともあり、
外部の高校を受験することが許された。

心から仲良くはなれなかったかもしれないが、
中学校生活で覚えた友達の作りかたは高校で役に立った。
自分で選んだ高校へ通えたこともよかったのだろう。

問題のない生活を送れていた。
ただ親から受けた暴力で萎縮してしまった心は、
ひきつけのような症状で現れた。

緊張しやすく怖がりで、
そういった場面になると首を絞められたかのように、
言葉がでなくなる。

また醜形恐怖症も根深いコンプレックスとなった。
「自分は醜いのではないか」
という恐怖はいつも付きまとっていたという。

私から見るRさんは、決してブスなどではなかった。
むしろキリッと端正な目鼻立ちのクールなイメージと、
抜群のファッションセンスで
いい意味で個性的な雰囲気をまとっている。

話を元に戻そう。
このひきつけに似た症状と醜形恐怖症により
自分に自信が持てず、
大学生になるまで人付き合いは上手なほうではなかった。

 

化粧が醜形恐怖症の自分を救ってくれた!

大学生になるとバンド活動に参加し、
充実した楽しい日々が始まる。

プロを目指すようになり、父にそれを伝えた。
「バンドでオーディション受けるんだ!」
するとまた、言葉の暴力が帰ってきた。
「オマエみたいなブスが、デビューできるわけがない!」

こんなに強烈なドリーム・キラーはいない。

でももうRさんはメゲなかった。
お化粧をすることを覚え始めた時期で、
メイクを一生懸命研究しはじめた。

どんどん美しく変わる顔。
顔が美しくなると、態度にも自信があらわれた。
ひきつけのような症状も少なくなり、
出会った人たちとも仲良くなれた。

メイクにうとい私には考えられないことだけど、
Rさんにとって、
メイクは人生を変えるほどのパワーを与えてくれたのだ。

「大好きなアーティストのライブを観るなら、
すっぴんの最前列の席より、
最後列でもフルメイクで座って観ていたい」

と言うほど、メイクは彼女を解放してくれた魔法のグッズとなった。

 

明日はRさんが結婚してからの、生育歴の影響を書きます。

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