自分の気持ちや、特殊な経験を他者へなぜ伝えたいか?

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不安の上にはどんな快楽も成立しない

いくら乗り物が大好きな人でも、整備不良の可能性のある飛行機だとわかっていたら乗らないでしょう。

美しい景色を眺めるのに熊が出没するとわかっている場所で、景色に没頭できますか?

どれだけ美味しい食事を前にしても、その建物が今にも倒壊することがわかっていたら、味なんてしないのではないでしょうか?

不安感の前で、人の心は荒みます。

他者へ自分の気持ちを理解してもらおうと考えてしまうのは「自分の考えていることは、おかしくない」と証明するためではないでしょうか?

他者と横並びの考え方を目指すのは「他者と違う自分は、おかしいのではないか?」という自分への疑惑で不安を招いています。

自分への疑惑を他者から理解してもらうことで他者に自分の疑惑を払拭させようとするのです。

しかしながら他者は他者で「こちらが求めてもいない情報を、なぜ理解してもらおうとするのか?」といぶかしくさえ感じます。

そうして見当違いの「悲劇のヒロイン」だとか「自慢話」という理由に変換されてしまうのは、無理のないことなのです。

誰もが自分の欲しい情報しか求めませんし浅い、深い関係なく、自分の経験に照らし合わせて相手の情報を解釈するからです。

あなたを不安へ追いやるものはなんですか?

冒頭で述べたように人はどんなに素敵なものを前にしても、不安感を前にしては楽しみが半減、あるいはゼロにもなってしまいます。

治安の悪い国で「泥棒や強盗に遭うのではないか?」と無駄にビクビクしていても、犯罪者が逃げてくれるわけではありません。

「自分は感染症にはならない!」と気合で水道水を飲んでも、感染します。

ガードマンを雇うことはその国では贅沢でも、自慢でもない。

水道水をフィルターにかけて煮沸すれば、水は安全に飲める。

そのように不安感を完全には無理でも、少しずつ取り除くことで見えてくる景色が変わるのです。

しかしながらあなたの不安はあなただけのもので、あなたの経験からくる財産でもあります

親子の不安定な関係があなたを不安で襲うなら、親から離れればいい。

人の幸せを妬む人は、人の不幸を喜んでいるわけだから近寄れない。

ここで離れるのは相手を責めることではなく、自分が不安から逃れるためだということを忘れないでください。

「こうされると自分は不安になる」という声をあげることと、理解をしてもらうのは別です。

理解ができない人には、どうしたってできないのです。

また相手へ不安感を与えて弱らせることで、支配をしてくる人が存在するのも悲しいかな現実です。

相手を不安に陥れて支配をするのは、イジメの典型的な仕組みです。

イジメをやめさせることは難しいですが、自分からイジメを逃れることは可能です。

不安から逃れて、自分を安心させられる状態に落ち着けてあげるしかない。

するとかつて自分が抱いていた不安と、同じ不安を持つ人の気持ちを理解できる数少ない経験者になります。

その人たちへ伝えることができるのは「他者へ理解をしてもらう方法」ではなく、いかにして自分がその不安感から逃れ、違う景色を安心の中で味わう方法です。


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