トラウマは人の命を生かすためにあるものです、悪者ではないのです

トラウマって響きそのものが、なんだかオドロオドロしいですね。

なぜ人間にトラウマというものが存在するかを知ることで、少しは怖くなくなるのではないでしょうか?

トラウマは「危険回避」のための自己防衛本能です。
自分を自分で危険から守るために、存在するのです。

精神的や肉体的に、とても危険な目にあった恐怖体験はトラウマとして残ります。

それはあなたが自身の「命の危険」を感じたときです。

自殺してしまいたくなるほどの、精神的苦痛。
他人から殺されそうになるほどの、人為的被害。
そうして自然災害や、事故などによる恐怖体験。

それ以外にも命を脅かされるようなことが起こると、脳はトラウマとして刻み込みます。

トラウマという感情は2度と、あるいはそれ以上、あなたがひどい目にあわないよう「危険回避」のために備わっています。

命を奪われるほどの一大危機を忘れてはならないと、脳が記憶に刻み込んだ体験がトラウマ。

あなたの命を守ろうと、脳が深く深く記憶させるのです。

あなたの専属ガードマンなのです!

トラウマは捨て去るものではなく、どう寄り添えるか?で人生が変わる

パニック障害になるまで私が潜在的に怯えていたのは、母がなんども私を捨てようとした幼児体験です。
なにがいけなかったのだろう?

幼稚園児が親から「大嫌い」と言われたり外出先で私を置き去りにしようとされれば、命の危機も感じるわと今でも思います。

けれども今同じことをやられたら、私は母に追いつけるだけの脚力を持っています。
また「ひどいことをするな!」と母を罵倒して、やめさせることだって考えられます。
あるいは自分からもっと快適な場所を選んで、それ以上自分を傷つけない方法も知っています。

5年前にトラウマが危険回避をするために、パニック障害を発症させて私に考えさせたのです。

「捨てられない方法を考えるのではなく、捨てられそうになったとき、捨てられたときに自分はどう対処するのか?」ということを。

捨てられそうになったことがない人は考えもしない、可能性と回避する知恵が備わるのです。

先人の知恵や、災害に遭われた方々の知恵も、経験をした者にしかわからない恐怖やトラウマがベースになっています。

その人たちはただ怯えているのでなく、果敢に切り抜け方を考えた人たちです。

これまでに「そんなに大変な目にあったのに、心身ともに元気でいられるね」と思える人たちと、たくさんの出会いがありました。

そうして自分もそう言われる立場になりました。

段階はありますが5、3、2年前の自分と今では取り巻く環境が、自分の望む方向へ変化をしています。

トラウマがなにを本当に意味しているのか?を教訓としてとらえられた人たちは、トラウマの存在を知っていても怯えません。

次に同じことが起こらないように逃げ惑ってガードするのではなく、同じことが起きても可能な限りの対応ができる知恵を持っているのです。

自分の力を過信したり、他者の力だけに頼ろうとしない人です。

本当に必要な自己防衛ですか?

私が自分が捨てられることに、過剰に敏感になってしまった原因は書いた通りです。

それが人生のさまざまな部分で、行動を制御(ブロック)していました。

けれども自分を傷つけてまで、縛り付けてまで自己防衛する必要はありませんでした。

今でも捨てられることは悲しいです。他者から積極的に嫌われていいなどと思いません。

けれども何かがなければ、誰かがいなければ、誰かがどうなってくれなければ、自分は生きていけないなどとも思いません。

トラウマに捕らわれて動けなくなっている人、または回避法を間違えて人生がままならない状態の人。

ご自身が本当に大切にしなければならない者や、物の存在を改めて確認してみてください。

トラウマに寄り添い、本当に必要な自己防衛策を模索して明るく生きてください。


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