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困難な状況にあるとき、ついそのときに起きてしまったことに心が囚われ続けてしまうことがある。
思い悩んでいたってすぐに結果が出るわけでもないのに「いい結果を出せないのなら」と頑なになってしまい、動けない。
この動けない原因は「なんとしてでも失敗を避けたい」と思う恐怖心からくる。

そんなときに目線を変えるということを、いくつかの事例を交えてご紹介したい。

タンザニアで暮らしていたときに、年に2、3回は家族でサファリへ出かけていた。
国立公園内では4WDの車とドライバー兼ガイドを手配して、驚異的に視力の高い現地人ドライバーが動物を探し出す。

沢などを車で渡り、道とは思えないような悪路も「グイン、グイーン」というモーター音とともに登る。
ときには傾斜がものすごくきつい、崖のような急坂も登る。

ルームミラーに映し出されるドライバーの表情も険しく、歯を食いしばってアクセルを慎重に踏み込んでいる。

フロントガラスには、石ころだらけ赤土の坂が襲いかかってくるような景色が見える。
車が後転してしまうのではないかと思うほど、前方の景色からは坂しか見えない。

「ぎゃー!ひっくり返る〜」と私たち兄妹は、シートの背もたれに体を押し付けられた状態になって騒いでいる。
そんなとき「後ろを見ろ、後ろ!たいした坂じゃない」と父が言う。

一斉にトランク側のリアウインドウを振り返ると、坂とともに周りの草むらも見える。
すると「あれ?ほんとだー。これなら歩いても登れるくらいの坂道だ」と恐怖心が消える。

前方の景色と後方の景色では、同じ車に乗っていても感じる恐怖心が変わるのだ。

 

自分を不安や恐怖へ陥れる方向を見ない

高い建物に登って高所恐怖症の人へ「下を見ないほうがいい」と伝えたこと、または伝えられたことはないだろうか?
上を見ると怖くないのに、下を見ると高さに震えて足がすくむ。

また車を運転していて急に細い路地へ入り込んでしまい、そこへ対向車がきて両脇3センチもないような状況に陥ったことがある。
ちょっとでも右か左にズレれば、対向車か壁にこすってしまう。
前に行けないのだから、バックはもっと難しい。

対向車も動いてくれず、自分の車を前へ進めなければずっとその状況から動けない。
サイドミラーに意識を集中してノロノロと前へ進もうとするのだけど、怖くて真っ直ぐに進めそうにない。

そんなときに見える限り遠くの前方を見ると、不思議とスーッとまっすぐ抜けられる。

一度登ってしまったものは、別のルートが見つかるまで自力で登り切るか降りるしかない。
一度ハマってしまった事柄からは、そこへじっとい続けるか、どうにかして抜けだすしかない。
どんな人の身の上に起こる不幸も、起こってしまった事実を消し去ることは誰にもできない。
それにこの先自分にこれ以上の不幸が、降りかからないという方法を持っている人もいない。

動かなければ状況は変わらない。
そうして動くときに目線をどこに置くかで、結果が変わることが多い。

不幸という事実にだけ焦点を当て続けて自分で動けなれば、誰かが助けてくれるまで何年でも待つしかない。
けれども「ここを抜けたら、こういう幸せが待っている」というところへ目線を向ければ、そこへ向かうことができる。

誰かの力を当てにせず自力で抜け出そうとする意思を持てたなら、必ず違う目線はそこへ向かう。

そうして抜け出せた後は「あのときは大変だったけど、意外と大したことなかったね」と思える違う景色に出会うことだろう。


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