年寄りは昔話が大好き(笑)
私の幼少期の話を叔母と母から聞き出していていると、話が止まりません。
年寄りの大好物である昔話を、私が聞きたいなどと言うことなどまずないので嬉々として教えてくれました。
最初の記憶をたどって 〜自分本来の性質を取り戻す2はこちらから。
- しっかりしていた、目的がブレない子だった
- 爪先立ちで歩いていた
- 意思表示はハッキリとするが、どこか申し訳なさそうに伝える
- 音を敏感にキャッチする子
- 探究心が強い
- 深刻なことはやらかさない
- 納得したことには素直で協力的、子供だましが効かない
これらの私の話を他者の話のインタビューのように、私はセッセとメモっていました。
すると母が、急に複雑そうな顔になりました。
「自己主張の激しい子だと思っていたけど、申し訳なさそうに言ったり爪先立ちで歩き始めたり、おじいちゃんを喜ばせたり……あなたは優しい子だったわ」と言うともなく、言い始めました。
ずっと「頑固で意地っ張りで、育てにくい、捨てたい子」だと言われていたのが一変する
それまで叔母とともにキャッキャと昔話をしていた母の目が、嘘のようにうるんでいます。
「あなたは子供達のなかでもいちばん自立心が強かった。若いころから自分で自分をよくしようと切り拓いてきて、私の手を取らなかった」
私が過去になんども伝えてきたことですが、わかってもらえず諦めていたことを言い始めたのです。
「私は自分でなんでもできるから、もう私から離れて(依存しないで)ください」と。
母が続けて「私はなぜセリが(母に)怒っているのか、わかっていなかった。私に説教ばかりする子だと思っていたわ。でも優しさで離れていたのね」
私の胸がギュッと苦しくなりました。
私は私で母から最も欲しかったものを、伝えていなかったことに気がつく
私の生まれながらの性質と厳しすぎた母からの教育で、私はどんどん強い子に育ってはいきました。
けれども母に依存させてまで私が欲しかったのは、母からの愛情です。
「いまさらそんなこと求めてはいけない。母にはそんなもの(愛情)はない」とずっと、母の力を信じていませんでした。
母に依存をして欲しくない、母からもらえる自分本位な愛情は欲しくないと、依存させないことと引き換えに母親のすべてを拒否することを選んでいたのです。
すべて「いらない」と自分から放棄をして母からどんな愛情が欲しかったのかを、伝えてこなかったことに気がつきました。
すると素直に「甘えたい」という感情が突然出てきたのです。
「今は甘えさせてください。私はママに認めて欲しい『がんばっている』と誉めてもらいたかった。だから私を誉めてください。なんでも自分で切り拓いてきた私を誇りに思ってください」と自分でもまったく想像していなかった言葉を発していました。
想いを受け止めてくれた母
昔話をしていたはずが急な展開となり、一瞬母はたじろぎました。
母は私の本音を聞いて少しだけ涙を流し、フーっと息を1つ吐いた後で言いました。
「複雑な家庭に育ってたくさん苦しんだのに、よくここまで健康で負けずにいてくれた。私はあなたを誇りに思う。偉かった」まっすぐに私の目を見ながら、しっかりとした口調で伝えてくれました。
上手に甘えて委ねるのは難しい、特に親子は
私は「甘えたかった」母は「甘えてほしかった」それだけなのに、お互い上手にできなかったのです。
言葉で書くのは簡単ですが、甘えが出やすい近い関係性の相手とのいちばんの難しさだと感じます。
心理学を勉強した後に母と離れていた2年間で、母も私も少し成長したのかもしれません。
お互いの関係性において「期待をしない」ということを、覚えたのだと思います。
私は仮に母から認めてもらえなくても心が折れることはないと確信できていたので、母へ甘えて答えを委ねることができました。
母は母で、母親としてのプライドを捨て去り、私を1人の人間として認められなければ、いつまでも「気難しい反抗的な子供」というレッテルを剥がすことができなかったでしょう。
そのレッテルを貼ったのも母、剥がすのも母。
誰かが剥がせるものではありませんし母に剥がす力があったことと、私に対する愛情があったからだと思います。
また私が親を含む他者へ上手に甘えられなかったのは、自分の力を信じ切れていなかったからです。
「なにかを与えなければ愛されない」というブロックがいつの間にか、外れていました。
自分の本質をたどることで自分の本音に気がつき、最も欲しかった母からの承認を受け取れて私はまたひとつ強くなりました。
これからの母との関係性も、特に期待していません。
流れに委ねることを、楽しもうと思っています。
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