サバイバル番組好き
サバイバル番組が好きです。
古くは電波少年の「ヒッチハイクの旅」や「15少女漂流記」「あいのり」なども好きでしたし、アニメ「南の虹のルーシー」も大好きでした。
自分にはできないけれど、どこででも生きて行くことができる人は子供の頃からの憧れです。
自分の欲しいものを自分で作り出す力があれば、なにごとも自由自在で楽しそうじゃないですか?
ところが子供の頃から強い干渉を受けてきた人は、サバイバルやチャレンジ精神が欠落してしまいます。
そうして自分の願望を知らず知らず封じ込めてしまいがちです。
・願望を伝えても「(世間体や経済的事情で)させられない理由」ばかりを言われた
・願望を伝えても批判を受けて、起こってもいないことへの恐怖心を植え付けられた
・大人の考えに反することをしたり言ったりすると、必要以上の強い押さえつけにあった
大人の意に反するという理由で最初の一歩を踏みださせてもらえないと、次第に無気力や諦めの境地になっていき「なにをして心を喜ばせていいのかわからない」という状態までに落ちていきます。
人の目が気になるときは、自分を無人島のサバイバーだと空想する
無気力な人へお勧めしたいのが、無人島でサバイバルをする空想です。
世の中に自分以外誰もいなくなっても、引きこもりの人は部屋から出ないでしょうか?
誰か(あるいはすべての人)の視線が怖くて、部屋へ閉じこもってしまっている人がほとんどだと思います。
ちょっと空想してみてください。
暮らしに必要な物を一通りと、好きなものなんでも携えて、危ない外敵のいない無人島へたどり着いたら何がしたいですか?
本格的なサバイバルではなく、家も家具も電気も水道も食料も揃っている無人島。
ソフト・サバイバルの空想です!
ないのは人の目だけ。
私ならまず素っ裸で海へ素潜りに行きます。笑
水着1枚着ていないだけで、こうも違うのか?
タンザニアに住んでいた小学生のころ、たまに海辺のホテルに友人家族と宿泊していました。
大人がバーでお酒を飲んでいる隙に、女の子3人で夜の海岸を散歩していたときのことです。
すごく明るい満月の月明かりが、海を照らしていたのです。
誰もいない浜辺にワクワクして、泳ぎの大好きな3人は「潜っちゃおうか?」と言いだしました。
「水着を部屋に取りに行く?」というと「いいよ、いいよ、服を脱いで潜っちゃお」となりました。
「せーの!」の合図で3人同時に一糸まとわぬ姿で海へ入ると、お風呂のように温かな海水が全身を包み込んでくれます。
海中も月明かりで透けて見えています。
浮上して「水着を着ていないと、こんなに気持ちいいんだね。それと夜の海中きれい!」
3人ともゴーグルなしで、海水の中で目を開けていられるたくましさです。
キャッキャ言いながら遊びましたが、いくら人里離れた海辺のホテルでも治安の悪い国ですから、ほんの10分ほどで切り上げました。
それっきり裸で海へ入ることはありませんが、最近同じことを大人になってもやっているという男性と会ったことで思い出したのです。
「どうして水着(男性は海パンですが)ナシでああも違うんだろうね?」いい大人が2人「裸泳ぎ談義」で盛り上がり、周りをドン引きさせました。笑
周囲のドン引きする目がなかったら、なにがしたい⁉︎
裸で素潜りは極端な例ですが、ドン引きされるという点ではわかりやすいかと思いました。
けれども人の目を気にする人は大なり小なりドン引きされることを警戒して、自分の思う正直な気持ちを封じ込めているのではないでしょうか?
日本では逮捕される可能性もある「裸で素潜り願望」を本当に実現したければ、ヌーディスト・ビーチへ行けば可能です。
行ったことがある人はわかると思いますが、ヌーディスト・ビーチでへ行くと水着を着ていることが逆に恥ずかしくなります。
着ている人へ冷たい視線が降り注ぐからです。
観光地の大浴場で水着を着て入浴しようとしている、中国人の女性を止めたことがあります。
「ここでは水着は衛生上よくないということで、禁止されています」と伝えました。
女性は気を悪くする風でもなく「あぁ、それがここのルールね」と言わんばかりに、脱衣所へ水着を脱ぎに行ってくれました。
これは大浴場が悪いのでもなく、中国人女性が悪いのでもなく「ルールの違い」です。
けれどもそれは日本の大浴場におけるルールで、欧米のspaでは水着着用のことなのです。
自分のやりたいことを狭い世界で、封じ込めないで
小さな島国日本でもルールは(この場合は風習、文化となりますね)の違う地域は、ごまんとあります。
男尊女卑がキツかったり、逆にかかあ天下だったり。排他的、よそ者を歓迎する土地とさまざまです。
世界なら、なおのことです。
そこに根付いたルールというのは、それが機能することで誰かが暮らしやすい体系を整えたということです。
しかしながら、いつまでも誰にでも暮らしやすいというわけではありません。
その場所における人の目(ルール)による窮屈で暮らしにくい気持ちが、場所を変えれば不可能が可能になるかもしれないのです。
諦めて無気力に陥ってしまった気持ちが、可能な気持ちに変わるよう「無人島ソフト・サバイバー」の空想をしてみてください。
そうしてできないと思っていたことを、実現できる場所や方法を探してみてください。
あなたの無人島生活が有人になっても、支持してくれる場所はきっとあります。
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