自己矛盾の多い依存的な親と育つと、子供側も我慢が前提の矛盾を作り出す
たとえば「自分を見て!」をという意図で、親から嫌がらせを受けたとします。
そうしてあなたが「見てやってもいい」と思いながら態度は「イヤイヤ見る」といった感じに対応したとします。
ここには矛盾が、依存されている子の側に出ていることがわかると思います。
「見てやってもいい」と思っているのなら「イヤイヤ」にはならないです。
また「見てやってもいい」と「イヤイヤ」どちらが本音かといえば、恐らく「イヤイヤ」の方ではないでしょうか?
自分の本音がわからないときは、身体表現を頼る
依存的な親は自分の本音を出すことが苦手なので、子供側にも本音を出させないようマインドコントロールをしています。
ですから依存された子の側は「自分の本音がわからない」という人が多いのです。
でも眉間にシワが寄る、顔が引きつる、体のどこかを触りたくなる、かゆくなる、頭が熱くなるなど、なんらかの身体表現が起きていることがあります。
それは自分のストレスを逃そうとしているときで、すなわち「ストレスを受けている」ということ。
だとしたなら「イヤイヤ」の自分の気持ちを尊重した方が、自然なことだと考えられます。
依存されて育った子の側は、健全な親に育った子に比べると格段に我慢強く育ちます。
ただ身体表現や身体症状の方は我慢もしないし、嘘も見破る優れたセンサーです。
こちらの方が頼りになるのです。
だから身体表現や症状を頼りに自分の持つ自然な感情を意識することを、日常的に感じる練習をしているとマインドコントロールを外す力になります。
関連記事 → 意味のなさそうな癖にも、ストレスが潜んでいる可能性が
身体症状から自分の状態を知る 〜すべては自己表現
怒らせないように「イヤイヤ」を伝える
仮に親が依存対象の子供に「食べてもいいよ」と許可制で、自分の残り物を食べさせようとしたとします。
子供側が食べたいか食べたくないかに問いかけもなく、自分の食べ物を残す罪悪感を子供に払拭させようとする場面です。
「親の罪悪感を、自分が払拭させられている」と子供側はキャッチしています。
けれども悪びれることなく指示がきてなおかつ断れば、自分に刃向かっていると判断して怒り出すことを知っているので「食べたくない」とも言えずにイヤイヤ食べるとしたら。
依存的な親はあなたのイヤイヤな態度を読み取り「自分は愛されていない」と判断をして、氣を引くために別の嫌がらせへスイッチを入れます。
そもそも「自分を見て!」が根っこの嫌がらせは依存対象の子供が、親が与えるより多くの愛情を子供からもらいたいという損得感情からきていますよね。
ただ子供側には「イヤでも見てやったでしょう!」という氣持ちが出てくると思います。
するとそこは多くの愛情が欲しい親の要求と、親を嫌がる子供の与えている表現に食い違いが出てきます。
得たい結果に焦点を合わせる
ここででまず自分の得たい結果に、焦点を当てることから始まります。
「自分が親を見ることは、ストレスです(だから見たくない)」というのがこの場合の得たい結果とします。
それでも親はあなたの本音を知りたい欲求はある。
以前書いた「〜してもいいよ」と突然敬語にして親と心理的な距離を取り、親に対して逆に許可を返すのもひとつの手です。
「私は要りませんから、あなたが残してもいいんですよ」とか「私は食べるのなら、新しい方がいいです」など同じ「イヤだ!」を伝えているのに、親へ脅威を感じさせない話術で冷静にゆっくりと使います。
拍子抜けをすると思います
日頃「イヤイヤ」ながら親の要求に従うか「どうして自分に残り物を食べさせようとする!」と感情的に訴える方法しか使っていないと、「我が子の大人っぽい対応」は初めてかもしれません。
また同時に聞きたかった本音を、親は知ることとなります。
この本音を引き出すために「自分を見て!」を歪めて表現してきた親は、まず毒氣を抜かれて拍子抜けすることでしょう。
そうして子供が自分を否定することなく、要望通り自分を見てくれて、感じよく本音も聞き出せたことになります。
親の損得感情的にも子供から本音を伝えることで「得」を得ますし、子供側も自分のストレスとなる無理強いを回避できています。
真実を前に、人は抵抗ができない
いつまでも本音を言わずにいると、依存的な親は子供からの愛情に不安を感じて、何度も嫌がらせを仕向けたり質問攻めにしたりします。
けれども依存的な親に限らず理不尽なことに対して「真実を前に、人は抵抗ができない」と私は考えます。
ブラック企業が内部告発を社員からされて、それが世間に出れば抵抗する術はありません。
ストレスを多く抱えていれば、いずれ病氣になって抗うことはできなくなる。
親への愛情ではありません。強(したた)かに自分を生き抜くための護身術です
力を抜きつつ自分の本音を伝えるのは、依存的な親から依存する力を奪う最良の手立てなのです。
親の依存を回避するための冷静さなら「なぜ自分が冷静になってやらないとならないの?」と腹立ちで被害者意識が出てしまうと思います。
でもそうではなく結果が「強かに自分の本音を通す」こととなると冷静にはなれないでしょうか。
親を傷つけないようプライドをくじかないための配慮ではなく、マインドコントロールから抜け出して、自由に生きるための護身術だと考えてください。
投稿がお気に召しましたら、ポチッとクリックをお願いします!
↓いつも応援ありがとうございます。- 投稿タグ
- 怒らせずに本音を伝える, 拍子抜けは毒氣を抜く