泣けるときに泣く幸せ
以前号泣してしまった映画を再び観て「私、どうしてこんな映画で泣いたのだろう?」と思ったことがあります。
またあるライブへ行くと、最初から最後まで泣いている友人がいました。
「そんなに感動する?」ライブはまあまあよかったですが、それほど泣けるようなものではありませんでした。
ライブ終了後友人は真っ赤に泣きはらした目と、ブクブクにむくんだ瞼を洗面所で見てビックリ。
「私ストレス溜まっていたんだね〜、ハア〜スッキリした〜」とまるで一週間ぶりにお通じがあったような、深い声で幸せそうに言ったのです。
泣きたいときは「心が回復するまであと一息」というところにいる
人間本当にホント〜に悲しいときは、泣けないのです。
だからといって泣いている人が、悲しんでいないというわけではありません。
いわゆるショック状態では、泣けないということです。
また泣けない状態は心に毒を溜め込むことになって、不健康です。
赤ちゃんがビックリすると、一瞬固まった後に少し間があってから大泣きしますよね?
一瞬固まっているときがショック状態なのですが、大人になって泣けないときもこの状態が慢性的に続いているようなもの。
出さなきゃ解毒できないのです。
また出せば心も体も、デトックスされて健康に近づくのです。
けれどもショックを越えて悲しみの感情が出たときに、なかなか大人に泣ける場所がありません。
ついついこらえてしまい、心には毒素が蓄積されています。
チョットでも突つけば、破裂してしまう風船の状態のままで生きていることがあるのです。
そうして泣きたいときは、ショックで張り詰めた心と体をゆるめさせようとしている時です。
リラックス神経の副交感神経が作用しているときですから、デトックスをするには絶好のチャンスなのです。
もし映画やライブで泣けてきたら、便乗泣きをすればいい
今観てちっとも悲しくない映画も、友人がそれほど感動的ではないライブで泣いたのも、心の風船が悲しみでパンパンの破裂寸前のときだったのです。
本人たちは気がついていませんが、潜在的には泣ける場所やタイミングを探していたのですね。
ちょっと心動かされることがあって、ビャービャー泣いたのですが、映画やライブのおかげではありません。
そうして1週間ぶりのお通じがあった(笑)友人のように、涙と一緒にストレス物質のコルチゾールというものが排泄されたから、スッキリだったのです。
ココぞと泣きのススメ
これを利用しない手はありません。
大人でもこういう群衆に紛れた場所で泣くのは、不自然ではありません。
一瞬他者は「感動しているんだろうな」とか思うていどで、スクリーンやアーティストに注目していますから。
嗚咽しない程度に、じゃんじゃん泣けばいいのです。
1人暮らしの人でも家で泣きたい場面があっても、ついこらえてしまいがちです。
「泣くのはみっともないこと」だと教育で脳にインプットされているから。
インプットを外して泣きたくなったら「ストレス解消のチャンス!」と書き換えましょう。
ココぞと泣きをするのです!
家でDVDなどで泣くような場面があれば、何度も何度も涙が出る場面をオカズに泣けばいい。
中途半端はイケません‼︎
涙が枯れるまで泣いて、体も心もデトックス。
どこか暗かった顔が、スッキリと晴れれば周囲も明るくなります。
悲しみの原因を追求するのも大切ですが、ただ排泄を促すことだけでもすごい効果なのです。
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