あんなに苦しい思いをしたのに、似たような人が近寄ってくる
とても厳しい親に育てられて、やっとの思いで離れることができた。
それなのに近寄ってくる人は、親と同じく自分へ厳しい人。
もうそんな人と出会いたくないのに、だから一生懸命親から離れたのに……。
自分は親と離れても、そういう人たちしか引き寄せることができないのか?
自分の本質が変わっていないから、誰といても自由になれないのか?
そんな疑問が不安につながって、人との交流が怖くなることがあります。
こんな不安に襲われて人間不信や、人間嫌いになってしまう前にちょっと考えてほしいこと。
それは「似たような人を引き寄せはしたけど、その人との関わりを継続するしないは自分で選ぶことができる」ということです。
同じ本、同じ映画、同じ服を選ぶことがある
同じものを選んでしまうことがあります。
買ってきた本を読んでいたら「あれ、これ前に読んだ」と気がつく。
だから同じ本が2、3冊家にあることもあります。
他にもレンタルDVDを鑑賞途中に「前に見たじゃない」。
お氣に入りの洋服を着て出かけたつもりが、前にその人と会った時に同じ服を着ていた。
仲間内でこの話をすると「あるある」と同調してくれることがあります。
心惹かれるものって、そんなに変わらないのです
表紙の色やデザイン、タイトルの言葉の持つインパクト、帯に書かれた文言、パッと開いたときに書いてあった文章へ引き込まれる。
本やDVDを選ぶ際に使う感覚は人それぞれですが、選ぶポイントというものは誰にでもあるでしょう。
そうしてその基準は子どもの頃から培った感覚で、よほどのことがない限り変わることはありません。
心惹かれるものが変わらないのは、あなたを悩ませる人も同じです。
人から選んでもらうものには、その人の持つ自分のイメージが現れる
ショップ店員さんが、ときどき景品をくれることがあります。
何種類かのカラーバリエーションから、どの色を選んで私へくれるのか。
無意識で私のイメージを、選んでくれていると思うから。
ブルーやピンク、グリーンが多いです。
私が欲しいと思う色をもらうより、その人がどんな色を私へ選ぶのかを知る方が楽しい。
ここで「こんな色を選ばれる自分って、どうなんだろう?」とは思わないと思います。
また欲しくない色をもらっても「欲しい色をくれたくなる自分になる!」というのは違うのではないかと。
自分が変わって、自分を悩ます相手を引き寄せないようにするって、似たような感じです。
悩ませる相手を引き寄せているのは、あなたではないこともある
ということは自分を悩ませる人を、自分が引き寄せているわけではない。
実は自分という存在に引き寄せられる、相手の課題ということも考えられるのです。
それなのにあなたが変わって、自分を悩ます相手を引き寄せないようにするということ。
それ自体相手の課題に介入していることには、ならないでしょうか?
また「自分の心惹かれるものを、封印しなさい」と自分へ課してしまう可能性も出てきます。
好きだったから大変だった
厳しい親に育てられて、大変な思いをしたのは「親が好き」だったから。
自分が大変だったから、好きでいたわけではない。
そうしてやっとの思いで離れることができたのは、親が嫌いなわけではなく自分を守るため。
心惹かれるものが変わることがないように、親を好きだった自分を毛嫌いしない。
親は好きだったけど、自分を傷つける行為からは距離を置く。
親に似たような人から好かれる自分が、悪いわけではない。
親に似たような人を、引き寄せてしまう自分が悪いわけではない。
親に似たような人を引き寄せてしまわないよう、自分の心惹かれるものを変える必要もない。
好きを嫌いなものに、変えない
時として親を好きだった自分を嫌悪していることに気がつかず、親の存在自体を嫌いになろうとしてしまいます。
けれどもそうすると、自己否定感が深まります。
なぜならそもそも嫌いな人のしたことには、そこまで傷つかないのです。
無理やり好きだと思う必要もないし、愛されていなかった事実をねじまげなくてもいい。
けれども好きなものを嫌いになろうとする行為は、自分自身を嫌う行為へとつながります。
だから好きは好きなまま。
それは変わらないけど自分を悩ます相手の好きも、相手の好きなままなのです。
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