なぜいくつになっても、共依存から抜け出せないの?

共依存関係から抜け出したいという気持ちはあるのに、気がつけばまた元の依存された状態に戻っている。

依存される側は共依存関係が苦しいことはわかっていても、揺り戻しが起こり抜けきれない人が多いのです。

「家を出るといいのですか?」とよく聞かれますが、それが直接の解決ではないといつもお答えしています。

もちろん依存相手と一緒に住んでいるより、別の場所にいた方が親から受けた洗脳は抜けやすいかもしれません。

けれども依存する側は家から出たくらいで放っといてくれないことは、子供が接触を避けようとすると、意地になり追いかけてくる依存親への対応法で書きました。

それは本来なら喜ばしいはずの子供の経済的な自立や、精神的な自立を果たすことを依存親は好まないからです。

ずっと赤ちゃんのように、自分より無力でいてほしい。

そうして自分をどうか必要としてほしい、敬ってほしいといった願望が根っこにあります。

その親の潜在的な願望を敏感にキャッチして、応えてきた歴史が子供側にはあります。

すると子供はいくつになっても潜在的に、大人になること=親から離れることが親に対して申し訳ないような気になるのです。

「親から離れようとする自分は悪だ」と思い込み、大人として立ち回ることに罪悪感を覚えるのが、共依存関係へ戻ってしまう一因です。

依存親にとって子供の精神的自律は「邪魔」だから成長の邪魔をしてきました

親から離れないための思考と同じく、幼児期から親の期待に応えるための英才教育も受けています。

ですから親の期待に応えるのは得意ですが、そちらに気を取られて自身の心の成長を止めてしまっている部分があるのです。

親の見栄のために「成績優秀であれ」と言われて育った人は、いい成績をとることに熱中していますから優秀です。

いい家の出身を周りにアピールするために「エレガントであれ」と言われて育った人は、外見磨きの達人でもあります。

しかしながら幼児性の強い親が決してしない教育が「成熟した人間であれ」です。

成熟した人、それは精神的自律をしている人です。(経済的自立とは違います)

群衆の中にいても1人でいても自力で自分を楽しませることができる人が、精神的に自律をした人です。

精神的に自律をした人の過去記事はこちらから→自分を楽しませることができる人、できない人の明らかな違い

その教育を受けていないので、精神的自律に関してだけは赤ちゃん同然なのです。

親と同様なのは「自分を楽しませることができない人」ではありますが、親と違うのは「他者を楽しませたり、喜ばせる方法」は親からの英才教育を受けているので優秀なのです。

一方親は親で子供へ共依存をさせるための教育を、欠かすことなく夢中でしてきた、いわばエキスパートです。

変な言い方ですが子供の成熟をはばむことにおいては、権威を取るほど執着してきた人生なのです。

それが共依存親子の誰もが経験したであろう「なぜ他の親が自分の子供にしないようなことを、うちの親はするのだろう?」という謎の言動に現れるのです。

権威ですから「あなたのそういう部分はまちがっている!」と子供が言ってしまえば、親の権威は剥奪されてしまいます。

もともとない権威(力)を奪われないよう必死だから、自分の落ち度を子供のせいにして自分が依存していたことを謝れないのです。

そもそも謝れないのは力がないからだと、昨日の投稿で書きました。

依存から抜け出すいちばん最短の近道は自分を成熟させること、すなわち自分の心を楽しませることなのです

昨日の話に戻りますが発展途上国で飢餓に苦しむ人が、豊かな国からきたあなたの食べ物を盗んだときに謝らせますか?

謝らせませんよね。

自分を成熟させることができると豊かな国からきた人の精神になり、親へ謝ってほしい、悔い改めてほしいという気持ちから解放されます。

また成熟することをはばまれて生きてきてしまったので、自分を楽しませること(成熟すること)に罪悪感を抱いています。

楽しいことをしていても「親からどう思われるのだろう?」と心のどこかで罪悪感を抱きながらでは、芯からは楽しんでいません。

それに選択肢の基準が「親に反感を買わない行動」なので、本当に心から楽しむことを選んでいるのかも疑問です。

焦ることもありませんし、頑張る必要もありません。

親が反対していることだって、やっていい年齢です。

親の嫌う相手と付き合っても、別れさせられたり怒られる年齢でもないのです。

楽しいことをするのなら、堂々と自分を楽しませましょう!

それが苦しい共依存から抜け出す最短の近道です。


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