私にとって、この世でいちばん美味しい携帯食

鮭と梅のおむすび
私が数十年後になりたい存在。
それは「おむすび婆さん」です。
おむすびが食べたくない日はないのです。
というかおむすびとお味噌汁さえあれば、毎日でもいいとさえ思います。
今では健康食として世界中に知れ渡っている和食ですが、私の幼少期にはほとんど知られていませんでした。
海外の学校では日本のお弁当の代わりに、軽食を持たされることが多いです。
私が通ったインターナショナル・スクールではピーナツバターやハムを挟んだだけのサンドイッチや、ポテチかバナナを持ってくる子が多かったです。
今では健康食として世界中に知れ渡っている和食ですが、私が海外に住んでいた1970年代後半は「日本通」と言われていた人たち以外にはまだまだ知られていませんでした。
大学は帰国子女の多い日本の大学へ行きましたが、特に中学校入学前に海外で過ごした人たちは「親が作ってくれるランチボックスのおむすびを、外国人の前で食べるのは恥ずかしかった」と言います。
私もたまにおむすびを持って登校しましたが、好奇心で見にきた同級生たちから「黒い紙?海の香りがするから魚の皮?」などと言われ「食べてみる?」と聞いても、皆んな逃げて行きました。(笑)
けれどもやはり海へ行くのも、山へ行くのもサンドイッチではないのです。
お昼におむすびが待っている思えば、遊びにも力が入ります!
おむすびが自立するときは、平和なとき
マクロビオティックでは三角形に握って、立つおむすびがいいとされています。
右手が「陽性」左手が「陰性」とされていて、どちらも均等の力で握らなければおむすびは立たないのです。
おむすびとか関係なく中庸のバランスを取るって本当に難しくて、人の心も振り幅は違えど「陰(うつ)寄り」「陽(躁)寄り」に傾くのですよね。
つまり心と体のバランスが取れていなければ、自立したおむすびは握れない。
おむすびは自分の現在のあり方を映し出す、リトマス試験紙のようなものなのだと知りました。
心身のバランスが取れているときは、自分を取り巻く環境も平和です。
もともと大好きなおむすびにそんな意味があったことを知り、ますます好きになりました。
暑苦しくない平和活動がしたいな
自分を取り巻く身近な環境が平和でなければ、社会は平和にならないのだと信じています。
体力が弱った老後も社会的接触は失いたくないので、おむすびを使わせていただこうと考えています。
「秩序を乱すな!」などと言って回るわけではなく、いつもお誰かにおむすびを振る舞う心の温かいおばあさんっていいなと。
食べると気持ちがホンワカするような、おむすびを作れるよう精進いたします。
悲しいかな現代は他人が作ったご飯を、食べられない人が増えているそうですね?
私の野望はかなえられるのか?!あと30年後の日本はどうなっているのでしょう?
な〜んてことを、昨夜はおむすびを食べながら楽しく妄想していました♪
本日は、ついおむすびの話題で熱く語ってしまいました。
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