「お願いします」が言えない(言いたくない)依存親の物の頼み方

依存親がなにか頼みごとをしたいときは、3つの物言いをすることが多いのです。

ひとつは「〜をしなさい」という命令形ですが、これは形勢がよほど有利でないと使いません。

形勢が有利というのは、命令をする相手が弱っているとき。

あるいは弱気になっていて、相手が最も命令をして欲しくないことや、時に、ここぞとばかりに使います。

それ以外のときは大抵許可を出すかのような頼み方と、相手の同意がある風な前提で話を運びます。

命令形はわかりやすいので「許可を出す」と「同意があるふりをする」頼み方を解説します。

許可を出す

たとえば誰かに「ドアを閉めてほしい」と思ったときに、あなたならどう頼みますか?

「ドアを閉めてください」あるいは気楽な間柄では「ドア閉めてくれる?」などの頼み方をしますよね。

けれども依存的な親は「ドアを閉めてもいいよ」といった、許可制の物言いをします。

だから「自分を愛してほしい」という言葉を使わずに「〜をしたら、愛させてやる」といった表現を取ります。

相手と同意の元のふりをする

また自分が行きたい場所へ行く際に、誰かを誘いたかったり連れて行ってもらいたいとき。

そんなときはまず相手の意思や状況を確認しますね。

「〜へ行くけど一緒に行かない?」とか「〜へ連れて行ってはもらえないか?」という風に。

ところが依存的な親は英語の “Let’s”(〜しよう)を多発します。

「〜へ行こうか?」「〜を食べようか?」といった風に、さも相手も同意をしているように話を持っていきます。

けれども言われた側は「へ?誰が連れて行くの?」

あるいは「自分の行きたくもない場所へ付き合うの?」

とか「あなたが食べたいものを、買ってきて作るのは誰?」

など「最終的に動かさせられるのは自分じゃないか!」という部分に腹が立つわけです。

この同意なき強制は、自分と子供の境界の分離ができていないからです。

いわゆる「あなたのものは私のもの、私のものも私のもの」という理屈。

また幼児性が強いので責任を問われることを、極端に嫌います。

だから行った場所が子供の気に食わない場所だったとしても、食べるものがまずかったとしても「同意のもと」で自分のせいではないと無意識でしてしまうのです。

なぜこのような歪んだ頼み方しかできないの?

依存的な親はとかく、自分のポジションを奪われることに敏感です。

それは「父権、母権さえ守られたなら、自分は社会的な立場が守られる」と信じているからです。

そうして子供を家来のように従え、自分の思うようにコントロールできることを望みます。

ですから自分の要望が理不尽だとわかっていても「(産んで)育てた親だ」ということで帳消しをしようとします。

また自己矛盾が強いので「理不尽だとわかっていても、受け止めてもらわなければ困る」と無意識で考えています。

通常は理不尽を相手へ強いてはならないというのが、成熟した大人の考えること。(こと自分の子供には)

けれども理不尽を受け止めてもらわなければ父権、母権が守られないの堂々巡りが起こっています。

そうして厄介なことに意識的な部分は自分より強くなりそうな相手を、コントロールにより弱くして従わせること。

無意識な部分は理不尽を子供へ強いていることを、自分が罪悪感を感じぬようなきことにしている精神構造になっているのです。

この無意識を使った結果、独特の歪んだ話術が繰り広げられます。

こういった理由で私は常々「依存的な親は謝罪をしない」と伝えています。

ですから家庭内のいじめ(共依存関係)を撲滅させるのならいじめをなくすことより、いじめられないあなたを構築するのが先なのです。

相手の精神構造(パターン)を知る

スポーツ選手は対戦相手の過去の試合を、何度もVTRを見ながら分析をして研究しますよね。

サッカーなどの団体スポーツなら反則をしやすい選手や、すぐにカッとしやすい選手などいろんな人がいます。

ここで反則を連発する相手選手へ「あなたは間違っている」とかカッとする選手へ「落ち着いて」などと説得をして、戦術を変えてくるとは考えにくいです。

同様に親へ改心してもらうのは、そういったことと似ているのです。

まず相手のパターンを知り戦術を練って、なおかつ自分たちのポテンシャルを上げる。

戦術だけでも、ポテンシャルの高さだけでも相手にはなれない。

長くなりましたが、まずは依存的な親の精神構造を「いい、悪い」を抜きにして「こういうものなのだ」と知ってください。


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