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3歳児を持つ年下の友人と、楽しくランチをしていた。
子供のプレートの付け合わせに出てきたのはミニトマト。
その子はトマトが食べられない子だった。

友人は我が子に好き嫌いなく、
なんでも食べる子に育って欲しいと願っている。
家でも工夫をしながら、
いろんなものを食べさせようとがんばっているお母さんだ。

自分が食べて「おいしい〜」とまずデモンストレーションをして、
「はい次は◯◯ちゃんが食べようね」
と言いながら、息子の口の中に放り込んだ。

みるみる子供の眉間にシワが寄り、
目の下にはクマが浮きでた。
「子供でもこんな顔するんだ」と思った。
でも頑張ってその子は食べた。

「おりこうさん!ね?セリちゃん」
と「褒めて育てる」教育方針の友人は、
私にも褒めるよううながした。

私も
「◯◯ちゃん、えらかったねー!」
と言った。

すると◯◯ちゃんは大きなため息をついて、
うつむきながら
「ママ、おりこうって言わないで……」
と言って目に涙を浮かべたことで、
その場は凍りついてしまった。

 

褒める教育は素晴らしいと思う。
劣等生だった私が小4で
アフリカのインターナショナル・スクールへ 転校し、
成績もスポーツも飛躍的に伸びたのも、
褒める教育のおかげだった。

だけど褒められ方が違っていた。

“great effort” 直訳すると「大変な努力」だと褒められていた。
結果を出す前の過程での努力を讃えられていたのだ。

成績のいい子は他にもたくさんいた。
けれど外国語のハンディを背負って、
母国語の子たちと肩を並べる成績を取ったことを
高く評価してくれていたのだ。

この子の発言がそれを思い出させてくれた。
友人は
「どうしておりこうって言ったらいけないの?
と困った顔をして子供に問いかけ始めた。

私はトマトを食べなきゃ『おりこう』ってママから
言ってもらえないと思っているのではないだろうか?
と耳打ちした。

それを聞いた友人が
「ママはね、◯◯がトマトを食べようって、
がんばったことを『おりこう』って言ったんだよ」
と子供に伝えると、真剣な顔をして聞いていた。
その子なりに納得が行ったのだろう。
ニマーっと笑い顔に変わり、
「あと5個寝たら、もういっかいやってみるね!」
と答えたので友人も私も吹き出した。

私の耳打ちした言葉の意図を素早く汲みとり、
速攻で修正した友人は素晴らしい。

また3歳にして、みごとな切り返しができる◯◯ちゃんの
母への優しさと、頭のよさにも感激した。

 

我が子を健康に育てるため、
好き嫌いのない子にしようと願うのは切実なことだと思う。

ただ褒める教育は褒める部分を間違えると、
「親の願望に従わないと、褒めてあげない」
という印象を子供に与えて、
不要なプレッシャーが加わり卑屈にさせてしまうことがある。

 

友人のように、
「親だって間違うこともあるさ」
と軽い気持ちで自分の願望をいったん置いておき、
子供の意図を汲み取ってあげたのなら、
子供は寛大な心で笑って許してくれるのだ。


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