免罪符として使われる「お互い様」

過日「友人たちとアウトドアへ行くのを嫁が嫌う」という話が、ある男性から出ました。

「自分は縛られたくない。嫁も好きにすればいいのに。お互い様じゃないの?」と愚痴ります。

「では奥さんがあなたを縛ることそのものが好きだったとしたら、奥さんは好きなことをしていますよね?」と思いましたが意地が悪いので引っ込めました。(笑)

また奥さんがその場にいないのに、彼がアウトドアへ行くのを嫌う奥さんの気持ちはわからないからです。

単なるヤキモチ焼きなのか、自分も誘って欲しいのに誘ってもらえないからか、彼の同行者の中に気に食わない人がいるのか…….?

それらはすべて、私の考えうる空想でしかありません。

ましてや奥さんから頼まれてもいないのに、空想で奥さんの代弁をするわけにはいきません。

果たして奥さんが好きなことをしていれば、ご主人のやりたいことはすべて許されるのか?という疑問が単純に湧いたのです。

けれども彼の「自分の好きにするために、相手も好きにすればいい」という発想では、奥さんが快くご主人をアウトドアへ送り出すのは難しいだろうと想像します。

彼の思考の中でエゴとお互い様の区別がついていないのは事実だからです。

神様のような「お互い様」に出会った

話は変わって、以前海外旅行先の空港でこれから帰国便に乗ろうとしたときです。

預ける予定でいたキャリーケースのロックが突然壊れてしまい、蓋が閉まらなくなる事態が起こりました。

まだ売店の開いていない時刻の便で新しいケースを買うわけにもいかず、かといってガムテープでは跳ね返されて開いてしまいます。

このままでは預けることもできなければ、機内持ち込みできるサイズの容量ではありません。

途方に暮れていると、ある日本人女性がスーツケース用のベルトを差し出してくれました。

「自分のスーツケースの目印として使っているだけだから、これで閉まるのなら使ってください」と言ってくださったのです。

ありがたく試してみるとさすがに専用に作られているだけあり、しっかりとバックルを縛れば、閉じたままで預けることができそうです。

自宅に帰るまでお借りしなければ開いてしまうのですが、こちらから住所やお名前をお聞きすることがはばかられました。

そこで不躾ながら現金をテッシュに包み「大変失礼なのですがベルトのお返しができないので、これで新しいものを購入していただけますか?」と恐る恐る差し出しました。

自分の知らないところで、息子がどれほどの人たちへお世話になるか

するとその方は気さくな笑顔で「困ったときはお互い様ですからどうぞ気にしないでください」と言いました。

聞くと今回の旅行は息子さんの就職前の最後の親子2人旅で、数カ国を周られた話をしてくれました。

旅行中いろんな人たちとの出会いがあり、たくさんお世話になり考えられたそうです。

「就職後の息子がこれから自分の知らない場所で、どれほどの人たちにご迷惑をかけたりお世話になったりするかを考えるんです。もしかするとまたなにかのご縁で、貴方(私)にもお世話になるかもしれませんので」と言われました。

もう2度と会うことのない可能性の方が高い、見ず知らずの私への優しい気持ち。

ありがたくベルトを頂戴するとともに、こんな形で息子さんを案ずる深い母心があるのだと知りました。

お互い様は相手が決めるもの

誰でも自分のやりたいことを我慢できなかったり、意図せずして他者へお世話にならざるを得ない場面に遭遇します。

しかしながら「お互い様」はやりたいことをする側や、お世話になった者が考えることではありません。

それを補ってくれた方がそう思わないことには、厚かましさや傲慢さにしか映らないのです。

自分も含めて「お互い様」という素敵な言葉が、免罪符のためではなく愛情のある助け合いの言葉で使われてほしいと思います。


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