自慢はおとな気のなさ!?
「そのうちハーメルンの笛吹きって呼ばれるんじゃない?」
友人の子供が赤ちゃんだったとき、友人は笑いながら私に言いました。
その友人の子供は、とても人見知りの激しい子だったそうです。
「だったそう」だというのも、私にはいつもニコニコしていて、その子が私に人見知りをするのを見たことがなかったから。
会うたびに大きくなるその子のニコニコ顏が可愛くて、写真を次々に撮ってはプリントして友人に渡していました。
するとその写真を見た友人のお母さんが「(セリは)子供好きなの?」と聞いたそうです。
なぜならば友人のお母さんが孫であるその子を連れ歩くと、知り合いに会ってもまったく愛想がなく、写真のような笑顔を他人に向けるのを見たことがないという話でした。
またその子に限ったことではなく、外出先でも飲食店で見知らぬ子供から帰りがけに「また遊ぼうね」と肩を組まれたり、(知らない子供が)いつの間にか膝の上に横たわっていたり。(笑)
私は子供好きではありますが、それほど好きで好きでたまらないというわけではありません。
ですからハーメルンの笛吹きになる理由は、子供好きだからというわけではないようです。
だって子供が好きな人はゴマンといるのに、私にだけ特別に懐いてくれるわけがないじゃないですか?
ひとえに私がおとな気ないから、好かれるのだと思うのです!
そうしておとな気ないこと、これは私の自慢です!(大きな声では言えないけど…….)
子供のころ好きだったことは、今でも好き。嫌いなものはいつまでも嫌いなままでいい
子供と大人の違いはお金を持っていることと、好きに行動を選べる選択肢の多さと、知識と許容範囲が多少広がった程度だと思っています。
誰もが年を取ったというだけで、嗜好は子供のころと大差がないのです。
自分が子供のころに好きだった自然の中で遊ぶことや、お店(主に食料品)を巡ることは今も変わらず好きです。
子連れの友人と会うときにそういった場所へ行って楽しめば、まず子供たちは一緒に楽しんでくれます。
食べたいものを食べていると「セリが食べているのを見たら、自分も食べたくなってきた」と食の細い子がモリモリ食べ始めたり、何度親が海へ連れて行っても入るのを怖がっている子の前で、スイスイと泳いで見せたりすると「自分も入る」と追いかけてくるのです。
「大人としてどうよ?」と言われるようなバカなことも言いますし、一緒に変な替え歌を作ったり、子供のころに兄妹で遊んでいたように遊ぶのです。
私も童心に返れて楽しいですし、子供も子供の親も大笑いしています。
楽しいことが好きなのは、大人も子供も同じ
お笑い芸人がいつまでも登場するのは、世間から笑わせてほしいというニーズがあるからです。
一見「くだらない」と思われることをいい大人である芸人が、幼児並みに体現してくれるから面白い。
芸人たちを好むのは、大人も子供も同じこと。
自分がやりたくても大人気なくて出せないことを、職業として演じてくれるからいつの時代も求められるのです。
でも自分で出せばいいのです!
「子供が昔から好きではないけど、自分の子供を産んだら子供を好きになるかな?って思っていたの。確かに自分の子供は可愛いけど、自分の子以外の子供は相変わらず好きになれないわ」と悩むお母さんもいます。
これは私に子供がいないので本音を話してくれたそうで、ママ友たちには軽蔑されそうで言えないと言っていました。
とても正直だしこれを口に出して言えるということは、自分の幼児性も認めたうえで、無理に大人ぶらない強さがあるということだと思います。
子を持つ母親としてがまんしてしまいそうな、好きでもないよその子供たちとの関わりを最低限にしようとするでしょう。
自分が楽しんでいることが子供たちを楽しませるように、ストレスに感じることはストレスを与えるからです。
無理して大人らしく振る舞おうとすると、本音と建前の温度差が生まれてしまいます。
皆んなそれほど大人ではないという自覚があれば、本音と建前の温度差に苦しむことも少なくなります。
「いい大人なのだから本音を封印する」という前提を「自分はおとな気ないのだから」に代えて、幼児性の出し方や出す場所を考えることができるのが、本当の大人になるということではないでしょうか?
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