親がどうしようもなく孤独な状態でいたなら、
子供が親より孤独でいても、気がつかないことが多い。
子供はいくつになっても親に心配をかけまいと、
普段通り過ごすことにかけては
細心の注意を払いながら生きている。
私が中学でいじめにあっていたことを、
親に伝えたのは成人を過ぎてからだった。
それも笑い話として伝えた。
それまで両親ともまったく気がついていなかった。
58歳で胃がんで亡くなった私の父も
闘病中まだ健在だった実母に対して、
「おばあちゃんには俺は胃潰瘍だと言っているから、
君も黙っていてほしい」
と言っていたほど心配をさせまいとするものなのだ。
今回の川崎市の殺人事件で殺害された上村さんのご家族は、
一昨年7月に島根から川崎市に転居してきたという。
転居をして新しい地域になじむということは、
とても大きなストレスが大人にも子供にも伴う。
それがもともと生まれ育った場所であっても、
いったん離れれば再びその地になじむには
新規の転入者と同じくらい周囲の協力が必要だ。
母子家庭だった上村さん家庭では、
母親が子供を養うことに手一杯で
充分に上村さんを見ることができなかった結果、
悪い連中から死に至らしめられたとされているが、
それだけではなかったと思う。
母親は子供が殴られてアザを作って帰ってきても、
子供の深刻な状況が理解できないほど、
ご自身が孤独だったのではないだろうか?
親子で飛行機に乗っていて
飛行機内の酸素濃度が下がった場合、
先に酸素マスクを装着するのは親からだ。
親が酸欠で意識がなくなってしまうと、
子供は自分で正しく装着できずに、
共倒れしてしまう可能性があるから。
親が最初に救われていなければ、
子供に死の危険がともなう。
こんな悲劇を二度と起こさないために、
SNSの制限や、ネットでの残酷画像の制限が叫ばれている。
また子供に「助けて!」と声をあげるよう呼びかける方もいて、
それはとても大切なことだと思っている。
でも私がそれより大切だと思うのは、
親が自ら「自分を助けて!」と社会にSOSを出すことだ。
孤独を感じることは誰にでもあるだろう。
誰にでもあることだからこそ、
声を大にしていい大人が叫ぶことは、はばかられる。
なんとか自分で解決しようとがんばりすぎて、
子供のSOSが聞こえなくなるほど疲弊してしまう。
また親のゆがんだ愛情をもらって育った人間は特に、
「人から与えてもらうまで待つ」
という考え癖がある。
自分から親に愛情を求めても、
拒絶されてしまうことが多かったからだ。
自分の欲する愛情ではなく
親の「与えたい愛」に感謝を強要されてしまうと、
自分から本当に欲しい愛情を、他者に求められなくなる。
そんな人ほど特に、社会へ助けを乞う勇気を出してほしい。
今でも私は他者に甘えるのは、下手なほうかもしれない。
でも困ったときに勇気を出して
「助けてください」
と言ったときに、知らんぷりする人はいなかった。
それどころか
「こんなに我慢をせずに、もっと早くに教えてほしかった」
と言ってもらうこともあった。
「私にはわからないわ」
という人もいるけれど、
その人は自分の抱えている別の問題で、手一杯なだけだ。
その人が冷たいわけでも、私のことが嫌いなわけでもない。
その場合はまた別の人に、
ネットでもリアルでも「SOS」を出し続けることだ。
そうすることで自分の孤独感を作り出している原因を
教えてくれる人もあらわれるし、
具体的な解消法を自分で模索するヒントにもなる。
また孤独に苦しむ人から、
周囲の人も目をそらさないでいただきたい。
たとえそれが仲良くない相手でも、
孤独になった理由が自業自得と思えても、
苦しんでいるときは緊急事態だととらえて、
話を聞くくらいしてあげてほしい。
未来ある大切な命が無残な殺されかたで
亡くなってしまうくらいなら、
親の話を聞いてあげるくらいなんでもないことだ。
子供の自殺や他殺を防ぐことを行政だけに求めても、
時間がかかりすぎるし、目が行き届かない。
少年法の改正を強く求める。
その間に自分たちでできることも、もっとあるはずだ。
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