2010年2月、私はパニック障害になった。

42歳の誕生日を迎えた直後だった。
「天真爛漫」、「行動力のある」、「人から頼りにされる」という他者の評価は自分の評価でもあった。
かつて会ったことのあるパニック障害の人たちは「真面目で繊細」、「恐がり」な人たちに私には思えていた。
いつもふざけたことばかり言っている私とは対照的に、内向的な人たちだと思っていた。
自分がパニック障害になったことを、いちばん驚いたのは私だ。
なぜ?なぜ?
きっかけは夫婦関係だった。
発作は、なんの前触れもなく起こる。
寝ているときでさえ襲われた。
加えて腸が過敏になり、突然激しい下痢をしてしまう。
外出をしなければならないときは、トイレのある場所をまず確認していた。
電車もいつでも降りられるよう各駅停車にしか乗らないし、ドアの側に立っていた。
人の集まる場所が恐くなり、友人が気分転換に誘ってくれた映画館では、緊張の脂汗が流れて映画どころではない。
外出がイヤになっていった。
誰にも会わず、家に閉じこもり
それまで大して使うことのなかったネットで、自分と似たような状況を克服した例がないか探していた。
でも投薬以外の有効な手だてが見つからない。
20代のころ睡眠障害に罹っていた私は、6年間睡眠導入剤に頼って眠っていた。
長い期間服用を続けると、だんだん薬に体が慣れてきて服用量が増えてしまうという経験をした。
薬の副作用である倦怠感にも悩まされていた。
だから今回は頼っても漢方まで。あとは自力で治したいと思った。
心臓が激しく鼓動して、息ができなくなる。
「もしかしたら一生このままかも?私の人生これで終わった?明日は目覚めることができる?もう疲れちゃった。自分で終わらせようか?」
発作の苦しみとままならない生活で、弱音が出てしまう。
そんなときに、いろいろな人たちに助けられた。
回復して普通の生活を取り戻せるまでの1年半、自分のこれまでを振り返り、向き合うきっかけを病気が与えてくれた。
崩壊しそうになっていた夫婦関係には、私と夫の生まれて育った環境「生育歴」が深く関わっていた。
引きこもりの1年半で思っていたこと。
「この状態から抜け出すことができたときは、自分の持っているすべての情報を開示する」
これまで自分の犯してきた考え方の間違った部分を修正して、自力で立ち上がることができたのなら
それは他の人の立ち直るきっかけにもなるかもしれない。
あるいは、少しだけ肩の荷を降ろしてもらうきっかけになるかもしれない。
肩の荷が降りれば笑顔になる、向き合うべき問題が見えてくれば対処できる。
そう信じるようになった。
これから自分の生育歴で起こったこと、夫との間に起こったことをカミングアウトしていきます。
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