5m先の建物を目指して歩いていると、
後ろから小学2、3年生くらいの女の子が走ってきた。

 

誰かを追いかけているのかと思って道を開けた。
するとその子は私が入ろうと思っていた
建物のドアにぶら下がるように体重をかけながら、
重い手動の扉を開けてニコっと笑い
「どうぞ」
というポーズと弾けるような笑顔で中へ入れてくれた。

 

「ありがとう」
と礼を言うと、その子はきちんとドアを閉めて
また走って建物の中へ消えていった。

 

一連の行動がとても慣れた様子だった。
その子のおかげで、
1日をとても気分良く過ごすことができた。

 

またある日レストランへ入ったとき、
隣に歩き始めたばかりの幼児がいた。
自分のデザートのお団子を
私に「食べろ、食べろ」と差し出してきた。

 

礼儀正しく、若いお母さんは、
「こらダメよ!すみません」
とひたすら謝るのだけど、
子供は私に勧めるお団子を引っ込めない。

 

おもしろかったから受け取ると、
お団子で粉だらけになった手を私に見せて、
満足そうな笑みを浮かべた。

 

私は食べるふりをして
「おいしかったー、ありがとう」
とお団子を返すと、それを受け取り
パクっとかじって粉だらけの顔で笑った。

 

自分に子供はいないけど
いろんな場所で知らない子から、
多くの「無償の愛」を受けている。

 

他人の私まで温かい気持ちにしてくれる子供たち。
その子たちを一生懸命に育てておられる親御さんを、
心から尊敬している。

 

「自分の存在価値」
に悩む人は多いけど、こんなに小さくても
見ず知らずの人を幸せにすることができるのだ。

 

自分に存在価値がないと思っている人は、
親から背負わされなくてもいい役割を、
背負わされてしまった人。

 

見なくていい親の喧嘩を見せられたり、
感情のコントロールの下手な、親のはけ口になったり。
あからさまな嫉妬心を親から受けたり。

 

その役割をこなすために
持っているパワーを使い果たしてしまって、
子供のころから自分を喜ばせることができなかった。

 

役に立たなきゃ生きる価値がないと思っているから、
その役割が重荷になって手放したとき、
自分の存在価値まで一緒に奪われたような気がしてしまう。

 

もともと負わなくていい大役だったのだから、
とっとと手放してよかったのだ。

 

そこにパワーを使わなくてよくなった分、
「生きているだけで楽しい」
と思うことを探すことにパワーを使おう。

 

そうなれば周りの人を自然と幸せにするし、
自分に存在価値があるとかないとか考えなくなる。

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