これまで私の生育歴を書いてきたのは、
決して
「私の親はこんなひどい人たちですよ」
ということを伝えたかったわけではない。
たまたまこういう家に生まれて起こった、
ひとつの
「とてもわかりやすい事例」
として出している。

親しい人に悩みを聞いてもらうことはあっても、
それはとても断片的で、
こういった詳しい生育歴を世間に
晒すということ自体初めてのことだ。

「なかなか理解してもらいづらい」
というのが今まで断片的にしか語らなかった理由だ。
聞かされる方だって、
なぜ親がこんなことをするのか、
理解の域を超えている。

でも怪我を伴う身体的虐待と違って、
幼少期の親の喧嘩や、
心理的ないやがらせ。

ことの大小はあっても、
こういったことに一切遭遇せず、
スクスクと育った幸運な人は
珍しいのではないのだろうか?

毎日が地獄のように辛い生活を送っている人や
身体的な虐待を受けてしまった人は
言うまでもなく、とても気の毒なことだ。

だがこれまでに私が書いてきた通り、
アフリカへ渡って楽しい時間を過ごせたような、
「誰もが経験できるわけではない特別なこと」
を経験して親に感謝を感じていたり、
優しくなった母を見て
「これが本当の母親」
と思い込み、その部分を引き出せるよう
頑張ってしまうような経験をし続けた。

その一方でなかなかお目にかかれないような
激しい夫婦喧嘩に遭遇したり、
「愛せない子供」
という刷り込みをされてしまうなど
「とても辛い気持ちにさせられる」
というジェットコースターのように
不安定な経験を交互にする者がいるとする。

毎日辛い者と、
ときたま大きく辛い代わりに
大きな幸運を得られる者。


どちらがマシかということではなく、

ときたま辛いほうが
優しくしてもらえる時間があるだけ、
親の支配から逃れる時期が遅れてしまうのだ。

この優しくしてもらえる時間を探して、
どんどん親の
「飴と鞭」
で心を操られてしまう。

幼いころから他の兄妹より
愛情を注いでもらえなかった分
たまに親に与えられる「飴」は、
他の兄妹よりいっそう魅惑的なものとなる。

ではなぜ兄妹3人いるなかで、
母の私に対する依存心が
特別強くなってしまったか?

これは心理的、身体的虐待を受けた者
どちらにも言えることだが、
その人たちは

「優しくて、パワーがあるから」

もし殴ったら死んでしまうような、
病弱で儚い子供を殴るだろうか?

もしひとことでもひどい言葉を発すれば、
自殺をしてしまうような怖がりな子に
「大嫌い」
と幼少期から言えるだろうか?

もし本当に弱い人間なら今すでに
ここにはいない。
殺されてしまっているか、
自殺してしまっている。

優しくなければ、
許せないほどの苦痛を与えた
親のことを殺してしまっているだろう。

今つらい目にあっている人や、
過去にきつい目にあって、
どうしようもない気持ちを抱えている人は、
ここだけは踏まえていただきたい。

「自分は優しくてパワーのある人間だから」
ということを。

我が家の兄妹3人のうち、
私だけしか持っていない優しさとパワーは、
持って生まれたもの。
これは両親からの
「ギフト」
なのだ。

せっかくのギフトでも使い方を間違えると、
誰からも依存されてしまう。

正しい使い方をすれば、
その強いパワーを使って、
大きく自分を救うことができる。

自分を救うことができれば、
他者の助けになるような、
「あなたにしかできないこと」
が必ずでてくる。

パワーは武器にもなるだけに、
自分も他人を破壊する力も強いのだ。

 

だから破壊する方向ではなく、
自身を救う方向にまずベクトルを合わせてほしい。

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