イラっとすること言いますよね
以前『褒め殺しで親との上手な心理的距離を取り、自分の心を守る』という記事を書きました。
依存的な人は自分以外の人間や、物をとかく悪く言うことが止められません。
心を込めて送ったプレゼントも「まぁまぁいい物だけど、ここがイマイチ」と言ったり、美味しい食事の際も「従業員の態度が悪い」などと文句ばかりを並べ立てます。
けれども自分のことや自分が与えた物に関しては、非常なるプライドがありますので「こっちの方がよかった」などと本音を言おうものなら、烈火のごとく怒ります。
気に食わないことは老齢になるにつれて、どんどん増えていきます。
政治家、俳優のことなど聞いてもいないのに、テレビに向かって喧嘩を吹っかけています。
自分の嫌いな物事に関しては何時間でも話をしていられますので、毒の撒き散らし方もハンパではありません。
老人、特に依存的な老人は寂しいのです。
自分の優れている部分があっても自分で認めず、誰か(特に子供)から評価してもらえない寂しさ、悔しさがここに現れます。
また子供の頃から親に褒めてもらえなかった人にも、現れやすい事象です。
このような親の話を延々と聞いていると、誰でもイライラしてきます
愚痴や悪口などネガティブな話は一緒に乗れない場合、聞かされている方はストレスになってしまいます。
それは「同調できない自分」に対する罪悪感へとも変わっていきます。
その罪悪感をかき消すために反撃をするのが、正常な人の取る対応です。
「そんなことを言うべきではない」とか「そんなことないわよ、これはいい物(者)よ」などとどれだけ話題をポジティブに切り替えさせようとしても無駄です。
そもそもそれがわかる大人なら、そんなに寂しさを撒き散らしてはいませんから。
だからと言って頭ごなしに叱ることもできない「老人」という最強のシルバーな印籠を、目の前にかざされています。
そこで先日私が黙らせた例が参考になればと、本日はお披露目させていただきます!
食事中の会話でした

あくまでもイメージです
実際に食べたものとは異なります
母の好物の洋食が食べたいと言うので、母の希望通りのレストランへ行きました。
母の「これが食べたかった」という物のオーダーをすませた途端に、堰を切ったような母の友人の悪口が始まります。
「また始まった」と思いながらも、無反応でしばらく泳がせます。(いきなり遮ると、攻撃対象が私へ移動しますので)
そこへ注文した料理が到着します。
これまで毒を撒き散らしていたことが嘘のように、お皿の料理を黙って食べ始めました。
「ヤレヤレ」とお水を一口飲んでいると「ねぇねぇ」と母が嫌なことを言う前の顔つきに変わりました。
「これ、ちょっと固すぎるわ」と始めました。
私はまだ食べていない時点で言われて「こっちまでマズくなるでしょう」と思いました。
いえ、10年前の私なら確実に言っています。
オマケに自分で選んだお店、料理に文句を言われても……という気持ちだってあります。
けれども「イヤ、待てよ」と私の頭がクルクルと回り始めます。
「◯◯子さーん(日頃はお恥ずかしながら「ママ」と呼びますが、こういうときはワザと母の名前をさん付けで呼びます)」
名指しで呼ばれると不思議なことに、母は話や動作を止めるのです。
「あのね、私が子供のころ◯◯子さんは『まずかったり、嫌いだったりしても黙っていなさい。それに気がつかない人もいるのだから』という素っ晴らしい教育で私は育ったのですよ〜〜〜」と返しました。
このセリフは嘘ではないのですが、激怒しながら怒鳴られた言葉です。
でも腐っても事実なので、優しい母の口調に私が勝手に変換しています。
その後も褒め殺しは続きます
「自分の施した教育、しかも素っ晴らしい」という部分に母は完全に陶酔しました。
その後も毒を吐きそうになりましたが、私が言わずとも直前で飲み込みます。
それは私が褒め殺しを続けるからです。
「うちは贅沢な食材は使っていなかったけど冷凍食品とか使わず、なんでも素材から作ってくれていたから私もそうなったわ」と言ってくすぐり続けるのです。
これも実はごはんと納豆だけだったりもしますが、嘘ではありません。
無理に褒めようと思うとこちらに力が入って空々しくなりますが、事実を軽く盛ってあげると伝える方も楽です。
小さなことだと思われるでしょうが、このようなやり取りの繰り返しだけで、双方のストレスは確実に減るのです。
親に限らず衝突ほど消耗することはありませんので、できる範囲でこちらが許容量を広げるとその時だけでも楽に過ごせます。
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