最初の記憶ってありますか?
昨日の投稿で母に聞きたくなったことは、ある経営コンサルから最初の記憶の大切さを聞いたからでした。
それは個人事業主なら誰もが知っていた方がよく、自分の特性を如実に現しているからだということです。
まだ教育も受けていない年齢で、いい悪いの判断もできない「ありのままの自分」はどんな子だったのだろう?
ビジネスはその人の得意でないことを始めると、途端にダメになるといいます。
ビジネスだけでなく人生も同じで、知らず知らずに身につけてきた道徳観や、親の欲、処世術などがインプットされるとその人の本質から離れていきます。
本質から離れたことをして生きるのは、苦手なことに囲まれて生きることになる。
確かに友人の子供たちを見ても1歳くらいになると怖がりだったり、気が強かったりしっかりと本質を現しています。
それが最も強い得意な才能であり、生きる力(根元)になるということでした。
自分の最初の記憶を、たどってみました
思い出せる範囲で私の最初の記憶は3歳ですが、なんだかいつも寂しかった気がしています。
ちょうど妹が生まれた年齢ですから、そんな記憶なのかもしれません。
あとは住んでいた団地の風景や、毎日楽しみに待っていた紙芝居。
それらはすべて環境からくる記憶で、自発的に行動したものとは異なります。
母と叔母へ聞いてみました
最初の記憶を考えるにあたり「人の客観的な記憶も大切」と感じて愕然としたのは、赤ちゃんの頃の私を語れる人の多くが他界してしまっていること。
また生きていても、記憶が曖昧になっている人も少なくありません。
皆さんも興味があるようなら、早いうちに聞いておかれることを強くオススメいたします!
そんなときにたまたま母と遠方に住む叔母が、タイミングよく居合わせる機会がありました。
幼い頃からの私をよく知っている貴重な2人です。
叔母から見た私
「セリちゃんはしっかりしていたよ〜」
叔母は遠い目をして語り始めてくれました。
私が3歳になりたてのときの話でした。
私もこの話は強烈な記憶として覚えています。
叔母の家へ遊びに行っていたときに従姉妹たちと楽しく遊んでいたので、母と叔母で私を叔母の家へ1泊させることにしたのです。
母は私に黙って妹と帰ってしまい、私が気がついたときにはいませんでした。
なんども行ったことのある叔母の家ですが、1人でお泊まりをしたことはありません。
また黙って帰られたことで私は「騙された」と感じたのを記憶しています。
「帰る!」と大声で泣きわめいていました。
夜遅くまで「帰る、帰る!」と寝ずに泣きやまないので、困り果てた叔母は抱いてくれたり、家の中をぐるぐる歩き回って必死になだめてくれました。
「あー、こんなに傷つけたなんて。もう2度としないと思ったわ」と言います。
思い余った叔母が「タクシーに乗せてあげるから、1人で帰る?」と私に聞いたとき「まだ3歳なのに、1人でタクシーに乗せてくれるわけないじゃない!」と怒ったそうです。
寝たふりをして聞いていた叔父が「そりゃセリが正しい」と吹き出したそうです。
結局頑として眠らずに朝まで泣き明かし、翌日母が迎えにきたときは叔母が寝込んでいました。(ごめんなさい)
「あっそうそう、セリちゃんは爪先立ちして歩く子だったのよ。バレリーナみたいで、あれには驚いたわ!」
叔母も3人の子供を産んでいますが、歩き始めたときに爪先立ちで歩く子を見たのは私が初めてだったそうです。
今でこそまっすぐになっていますが、幼いころから私の足はX脚でした。
加えてガニ股の爪先立ちで歩くので、中学生くらいまで「バレエ習っている?」とよく聞かれていました。
フワフワとつま先から着地させて歩くので、靴底がちっとも減らない子だったと言われました。
長くなりましたので、母の記憶は明日に続きます。
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