雑草だから迷惑だけど、おいしい作物なら感謝?

夏のいちばん暑い盛りに「ちょっと(草むりしを)休むと、これだから」と恨めしそうに雑草を眺める農家さん。

「本当ですよね。これがトマトやキュウリだったら『ちぇっまた野菜がなった』とは思わないのに」と笑いました。

他者や環境からの影響はいいものなら「おかげ」となり、悪いものは「〜のせい」になる。

どちらも外部から影響を受けているだけで、実は「せい」も「おかげ」もないのではないかと考えるのです。

「なぜ自分だけがこんな目に」と考えても仕方のないこと

男や女に生まれたのも親のせいです。

背が高い、低いも親のせいです。

美しい容姿、そうでもない容姿も全部親のせいです。

本来の姿はどれも親や環境のせいだから、自分を責める必要はどこにもない。

優しい両親から育てられたのも、厳しい両親から育てられたのも親のせいです。

あなたが生まれてきたことで、それまで優しかった人たちが急に厳しくなったわけではありません。

ねじ曲がった性格になったのも、親のせいです。

だってそうなる要素が、育った家庭にはあったのでしょうから。

誰かのせいにしてはいけないと思えば、自分を責めるしかなくなる

「おかげ」ではないものは現在自分が望んでいない状況や、生きて行くうえで邪魔になる不都合なものを指します。

「美しく生まれなかったから、恋人ができない」

「性格がねじ曲がったから、人とうまく付き合えない」

確かにそうかもしれません。

けれども美しい人すべてが美しいというだけで、幸せになっているとは限りません。

性格がねじ曲がっていても、ねじ曲がりを上手にビジネスへ役立てて社会の役に立てる人もいます。

「誰かのせいにしても仕方がない」「人のせいにするな」という言葉にしがみついて自分が動けなくなるくらいなら、いっそ親のせいにしてもいいと私は思うのです。

なぜなら今のあなたの心の基礎を作ったのは、親だということは事実なのだから。

動けないのは誰かのせいにも関わらず、誰かを責めたい気持ちを過剰なほど押し殺しているから。

自分で持てあますほど押し殺した感情は、自分もしくは他者(自分よりも弱者)へ無意識で攻撃します。

自分や筋合いのない人を攻撃するくらいなら、大元の原因である親へ向かった方が正当だし健全です。

しかしながら直接親へ訴えても、まず受け止めてはもらえないでしょう。

そもそもその親を育てた親もいるのですから。

また仮に受け止めてもらい謝られたところで心が晴れるのは一瞬で、瞬く間に暗雲がたれ込めるでしょう。

なぜならあなたにとって謝らせるのが目的ではなく、抱えている不都合が解消されないことには幸せではないから。

親のせいにするメリット

親のせいにした方がいいと考えるのは、不要な責任を自分で抱え込まなくていいということです。

同じ条件下で育っても生きているうえでの不都合ささえなければ、責任の所在を考える必要はなくなるでしょう。

大人になった今なら、どんな生まれ直しも自分でできるのに、誰にも引き取ってもらえない感情で身動きが取れなくなる。

そこで考えてみてください「自分を今生きづらくさせているのは、そもそもは親のせい。だけど……

いったん想像の中で親に不都合を引き取ってもらってから、だけどの後で自分がどうありたいか?

どのようにこれから不都合に邪魔をされず、生きて行きたいか?

それを考えたうえで、どのようなアクションを取るのか?

それらを考えるための「親のせい」「誰かのせい」なのです。


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