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これまで傾聴ライティングのインタビューをさせていただいたことで、
ひとつだけ分かったことがある。

インタビューを受けてくださった方々から、ときどきその後の連絡をいただく。
掲載許可をお聞きしていないので、詳しくは書けないけど、
「こういうアクションを起こしてみました!うまくいきました!」
「すっきりとした気持ちで、迷いなく次のステップへ踏み込めます」
というご報告を聞かせていただけるのは、本当に嬉しい。

どの人もインタビューをしてまだ1、2ヶ月しか経っていない。

それまで数十年悩んでいたこと。
いつも同じ不安に悩まされていたことから解放されて、
新たな人生を歩む足がかりとして、傾聴ライティングをご利用いただけた。

他人さまの人生をお聞きして、文に起こすこと。
傾聴ライティングは、生前葬とよく似ていると思った。

お葬儀は亡くなった人の活躍や、生前抱いていた悩み、無念さ、
その人の歴史を誰かが代弁し、弔辞などで読み上げられる。

生前葬が違うのは、生きているうちに親しかった人たちに直接お礼がしたかったり、
人生の最後の儀式を家族や仲間と共有したいという人が行う。

そうして自分の人生に「仮」の幕引きをするのだ。

心理学のワークショップにも、この生前葬はある。

まず自分が大切にしている事柄、物をいくつでもいいので拾い集める。
(私が受けたワークショップでは、バスタオルを丸めたものをそれに見立てていた)

棺の置いてある場所へ一歩一歩進む間に、
自分の執着しているものに見立てているバスタオルをひとつずつ捨てる。

その執着は人それぞれだ。
「子供」「親」「車」「ペット」「仕事」「誰かを見返したかったことに対する無念」
「親からもらった形見」などなど…….。

生前どれだけ愛着のある物事も、あの世には持って行くことはできない。
死ぬときは好むと好まざるに関わらず、手放さなくてはならないのは誰にとっても平等だ。

この執着するものが強ければ強いほど、ワークを受けている人は歩を前に進められない。
でも棺は数メートル先にあり、自分が死ぬことはもう決定している。

泣きながらバスタオルを落として行く人もいれば、さっさと捨て去る人もいる。
そうして棺の中に入り、お経が読み上げられ、弔辞や、献花、出棺など葬儀と同じ手順を踏む。

これを行う目的としては、自分の執着を探すこと。そうして手放すこと。
自分が死ぬときには、必ず捨て去らなければならない物事の再確認だ。

それを捨て去ることにより、これからの人生でなにをリセットすればいいのかを探る。

意図してそうしていたわけではなかったのだけど、その後のご報告を受けると、
結果的に傾聴ライティングはそういう効果があるのだと思った。

生まれながらに課せられていた、自分にはどうにもできなかった「定め」。
それが文になったとき自分の理想とはかけ離れていたことを再認識して、
抵抗感が出て戸惑ってしまう人もいる。

抵抗感があっても、それはその人の身の上に起こった事実だ。

抵抗感はその人の抱える
「なぜ自分がこんな目にあわなければならなかったのだ?認められない」
という執着だけど、ある人はポイと簡単に捨て去るし、
またある人はなかなか手放せず、しばらく怒りや悲しみを握りしめることを選ぶ。

手放すか手放さないかを分けるのは、その人に執着を手放す力があるかないかだ。
掲載後にゆっくりと力を蓄えて、準備ができてから手放す人もいる。

手放す作業だけは自分でなければ、誰にも頼ることができない。
いくら誰かに相談をしても、どんな勉強をしても、
誰かに手放してもらおうと頼っていたのなら、依存しただけで終わってしまう。

連絡をくださった、その後のアクションをスムーズに起こせた人たちは、
1つのツールに他ならない「傾聴ライティング」をうまく使いこなせるだけの、
力をもともと持ち合わせていた人たちだと私は思っている。

過去に起きた「定め」はその人のせいではないし、変えることもできない。

理想とかけ離れていたから、なかったことのように隠してしまっていた悲しい自分の歴史。
隠すということも「誰にも言ってはならぬ」という執着だ。

その執着を手放すことができたら
「隠したかったことの中に、誇りに思うべきことがあった」
という過去の自分自身に対する「受容」「肯定」「自分を愛する」ということに変わるようだ。

また自分が「正しい」と思い込んでいたことが、実は自分の人生の足を引っ張っている原因だった。
という振り分けもできる。

そうして、
「(定めに立ち向かっていた自分は)偉かった。でももう、そこにいるのはやめよう」
と大事に過去の自分を葬ってあげて、次の人生を進み始めることができるのだ。

生前葬のいいところは大事に葬ったのは過去の自分だけで、実際の命ではない。
やり直しが利くというところで、自分の執着を手放すことに納得できる。

よりよく生きるために軌道修正をするべき部分と、
修正するべきではない部分を振り分ける感覚。
それを身につけるきっかけになる。

物にも、人にも、環境にも「あるがまま」を受け入れることで、自分自身を無駄に責めなくなる。
得体の知れない恐怖心や、罪悪感からも解放される。
心がシンプルになれるのだ。

ややこしく考えるから逃げなければならない、隠さなければならない、
誰かとか何かのせいに言い訳をしなければ、生きていけないと思い込む。

そうではなくて、もっとシンプルなものなのだと拍子抜けする。
これを取材対象者さんに体得していただけたときが、私に取ってなによりも嬉しい瞬間だ。


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