バードマンという映画を観た。
映画『バットマン』で主演を務めた、
マイケル・キートン主演の作品だ。
(多少のネタバレが含まれるので、これから見ようと思っている人にはごめんなさい。)
精神、物質ともに「破壊」が常につきまとう、
見ごたえのある作品だった。
私が今年観た映画のなかでは1位だったと思う。
過去にバードマンという映画で主役のスーパーヒーローを演じ、
大人気を博した映画俳優が年を取った。
舞台俳優に転じて新たな成功を勝ち取とうとするが、
さまざまな困難が立ちはだかり、
思うようにならない葛藤と孤独感にあがきまくり、
自分から次々とトラブルを引き起こす物語だった。
過去の成功体験はそこから落ちてしまえば、
その成功が大きければ大きいほど、
本人は思い出に浸ってしまいがちだ。
超難関国立大学出身、若かりしころの類まれな美貌、
某大手会社のエリート社員だったことなど ……。
自分で過去の栄光を振り返り、
「自分はこんなに頑張っていたのだ」
と現在の自分を否定せず自己肯定の材料として使い、
さらなる飛躍の後ろ盾に使う分には、
素晴らしい実績だと思う。
けれども他者にまで過去の栄光のみで、
自分を評価させようとしてしまうことは問題だ。
他者に不快感を与えるだけではなく、
現在の自分を否定していることになってしまう。
その自分への否定感が
他者に不快を感じさせるのであって、
決して過去の栄光を他者が妬んでいるのではない。
話をバードマンへ戻すと、主人公がどのようにして
「破壊から再生」へ導いたか。
それは自分の突き抜けた部分を、隠さないようにしたこと。
才能があるとかないとか「役者として」という部分を、
すべて切り捨てて、
他人の観念に合わせて生きることをやめたときだった。
「他人がどのように自分を評価するか?」
ということを中心に考えてしまえば、
せっかくの自由な発想、発言はしまいこまれてしまう。
過去に成功をおさめた人ほど、
突き抜ける自由な発想や発言を持っていたから
成功できたわけで、
美貌と同じように持って生まれてきた
誰にも真似のできないものなのだ。
持って生まれてきたものは、死ぬまで使える武器となる。
その武器を他者に使うのも、自分に使うのも自由だ。
生きづらさを抱えて生きてきた人は、
同じく生きづらく悩んでいる人の気持ちに
寄り添うことができる。
勉強ができなかった人は、
どうしたら勉強ができるようになるかを考えて、
それを勉強のできない人に伝授することができる。
プラスの要素だけが武器だと思ったら、それは違う。
マイナスの要素だって使いようで立派な武器なのだ。
自由な発想、発言で自信を持って突き抜ければ、
周りの評価など関係なくなり、
そこへ付いてくる人が必ず出てくる。
成功の思い出などではなく、
その人たちだけを大事にしていればいい。
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