人間関係に悩みながら、これまで生きてきた。
けれども子育てと同時に自分の育ち直しもできたのか、
少し改善しているような気がしている。
自分はどのくらいまで改善できているのかを文に起こして、客観的に知りたい。
という理由で傾聴ライティングにお申し込みされた40代女性のKさん。
お子さんがいらっしゃることを、あらかじめ教えてくれていたせいだろうか?
朗らかで、本当に温かいお母さんの雰囲気が全身から発せられていた。
なので余計にKさんの大変だった生育歴をお聞きして、驚いた。
私は絶対にこの家の子供じゃないんだ
「ひとことで言うと『濃い』環境」
という言葉でKさんは、自分の生まれ育った九州の実家を表現した。
そこはその地域全体を父方の親戚で、ぐるりと囲まれているような場所だった。
母親の実家もそこから車で1時間ほどの場所にあり、家族はその地域独特の因習に従って生活をしていた。
三人姉妹の末っ子で一番上の姉とは8歳、下の姉とは6歳離れている。
かなり年齢差があるのでKさん自身は、半分一人っ子のような感じで育てられた気がしている。
姉2人はKさんが生まれた時点で親の手を取らない年齢になっていたので、
母親と行動を共にするのは、赤ちゃんだったKさんだった。
姉2人にとっては、それが面白くなかったのかもしれない。
Kさんは姉たちから可愛がられたこともなければ、いじめられてばかりいた。
最後の砦であるはずの父もKさんがいじめられているのを、
じっと傍観するだけで、かばってもくれない。
物心がついてから家族から可愛がられたという記憶はない。
幼少期は母からも姉たちからも、怒られていじめられた記憶しかない。
「(こんなにいじめられている)私は絶対にこの家の子供じゃないんだ」
とずっと思っていた。
どういったことでそんなに怒られていたのだろうか?と聞いてみた。
Kさんは子供のころから物覚えが悪かったり、話の間の取り方が悪かったという。
やることなすこと「今ここでするべきことではないでしょう!」と言われ、
母や姉たちから激しく叱責を受けていた。
母はKさんがなにをしても小言を言って聞かせていた。
それはKさんが話をしたとしても、
「そんなことは言うべきではない」という小言を聞かせるけれども、
黙っていてたら、黙っていることに対しても小言を言って聞かせた。
小さな頃から自分の言動のなにがいいのか、悪いのか?がわからず、混乱をしていた。
そんなにいちいち言動を否定されてしまえば、
「今ここでなにをすべきか?」ということは当然わからなくなる。
「自分は今正しいことをしているのか?」
ということにあまり自信が持てないという悩みは、現在も引きずっている。
大人になってからの自分探し
幼少期の写真を眺めれば笑っている自分もいるし、楽しいこともたくさんあったはずなのだ。
だけれども子供らしくノビノビと自由な発言が許されなかったことや、
家族からいじめられた経験で、Kさんの心はいつも萎縮してモヤモヤとした影に包まれていた。
ただひとつだけ救いだったのは、Kさんは母親がなぜ自分に辛く当たるのか?
ということの理由を、自分から探っていたことだった。
実家は父方の祖母と同居していて、母は働いていた。
その間Kさんの世話は祖母がするのだけど、祖母は「育児をしない人」だった。
祖母の娘たち(Kさんの叔母にあたる)との間でトラブルがあっても、
祖母は母が悪いと濡れ衣を着せていた。
親族間で話をしている時に母が自分の意見を言おうとすると、
「あんたは黙っていて!」と、祖母がバスっと話を遮る。
そんなことをされていれば犬猿の仲になるのも仕方がない。
嫁姑関係の悪さが、母の心の余裕を損ねていたのだろうと考えることができた。
むしろ「よく家を出ずにいたよね」とKさんは、当時の母親の心境に理解を示している。
Kさんが20代半ばになり、母親と対等に話ができる年齢になると、
「離婚してしまったら?」と提案をしたことがあったほど、母親の実家での身分は低かった。
父は対外的には悪い人ではない。けれども使えない人
父は民生委員やお宮の管理など、地元に根ざした活動を積極的にしていて、
「仏」のように温厚な人だと周囲からは崇められていた。
だが外でさんざん人にいい顔をしてお金を使い、経済的にも精神的にもしわ寄せは母にきていた。
Kさんから見た父親は「使えない人」。
嫁姑の喧嘩の仲裁にも絶対入らず、母と父の関係性も冷めきっていた。
両親にまつわる細かい事情も、母親や親戚の人たちなどから聞き出すことで、
母が自分にあのように辛くあたった謎を、最近になり少しずつようやく紐解いてきた。
母はもともと父との結婚を拒んでいた。
お見合いで出会った時から父の性格の嫌いな部分があった。
母が結婚前にいた実家では、兄嫁との折り合いが悪かった。
けれども跡取りの兄の地位は絶対で、母に肩を持ってくれる者はいなかった。
母の父であるKさんの祖父に「嫁に出さないでほしい」と頼んでも、
祖父は母が嫁に行きさえすれば、母も実家も安泰になると思ったのかもしれない。
「嫁に行け!」とひっぱたかれて、
半ば強制的に嫁に行かされた身だった。
理不尽な話だけれども当時の時代背景や、地域性が複雑に絡み合った嫁入りだった。
女性の地位の低さ、役に立たない男性が平然と生きていけるのが当たり前の中で育った。
自分がいじめられながら育つことだって、誰も咎められずにいた。
それが当たり前だとずっと信じ切っていた。
ところが31歳で結婚をして九州を離れたことで、自分の生まれ育った環境の「濃さ」が初めてわかった。
すべて閉ざされた空間の中でしか、まかり通らないことだった。
その事実を知ったのは、大きなカルチャーショックだった。
ここから「濃さ」から解放された人生が始まる。
第2話へ続く
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