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狭い社会がすべてではないことを知り、自由になれた前編はこちらから

もつ鍋で夫のアトピーが治った!

結婚して九州を離れ関東地方へ移り住んだKさんは、新婚当初は夫と2人きりで生活を楽しんでいた。

かなり重度のアトピー性皮膚炎だった夫は、衛生面を心配する実母から、
毎日必ずお風呂に入り、皮膚を清潔に保つよう幼いころから教育されていた。
けれども細かいことをあまり気にしないおおらかなKさんは、

「毎日お風呂に入らなくても大丈夫だよ!」と夫を元気づけた。

もともと夫婦揃って「ずぼら」な性格だから、一緒にいてお互いに楽なのだという。

夫の母親は「女性も仕事を持つべき」と考える、団塊の世代の女性。
仕事をずっと続けながら、3人の男の子の子育てをしてきた。

また「仕事をしているからと言って、適当なものを子供に食べさせていると思われたくない」というポリシーの元、アトピーだった息子のために、ずっと手作りの食事で育ててきた完璧な女性だった。

Kさんと結婚して九州の郷土料理の「もつ鍋」を夫は気に入り、よく食べた。
もつ鍋はホルモンの持つ脂分や、コラーゲンが多い食べ物だ。

もつ鍋を頻繁に食べることと、毎日お風呂に入らなくてもいい生活をすることになり、
夫の肌はカサつきがなくなり、潤い、アトピーが治った!

「アトピーが治ったのは、私のおかげなんですよ。ふふ」と陽気に笑った。
実際にアトピーや喘息などのアレルギー疾患は、ストレスの影響が大きい。

Kさんがそんなに神経質にならなくても大丈夫と言ってくれたことは、
それまで「お風呂に入らなければならない」と信じていた夫にとって、
どれほどの安心感を与えたことだろう。

人生の最大の喜び、男女の双生児に恵まれる!

そんな幸せな新婚生活を送っていると、
めでたくご懐妊となり生まれたのはなんと、男女の双子だった!
双子が生まれたことで、義母が同居をして子育てを手伝う提案をしてくれた。

ゆくゆくは自分たちの持ち家を購入するための頭金も貯めたかったけれども、
幼い双子がいるのでは働くこともままならない。

そのことを了解済みの姑は「将来的にはお互い別々に住むという前提で」
というありがたい提案のもと、夫の実家での同居生活が始まった。

双子の育児は本当に大変だった。1人の授乳が終われば、もう1人の授乳。
おっぱいが休まる暇もなく授乳、オムツ交換に追われる。

まったく寝る暇がないので、出産後3カ月ほどは記憶がない。
かろうじてビデオの録画があるので、
それを観て当時の育児の様子を知ることはできるが、覚えていないほど忙しかった。

でも生まれた子供たちは、可愛くて仕方がなかった。
しかも2人いっぺんに生まれてきた子供たちの成長を、一瞬でも見逃したくなかった。

「この子たちとずっと一緒にいたい」
と本心では願っていたが寝ていないうえに、
「子供たちの世話は自分が見るから」と義母から働くことを勧められたときは、
正直「鬼か!」と思ったと笑う。

けれどもKさんが仕事をしている間に、
しっかりと子供たちを見てくれる義母がいてくれたおかげで、
安心して働きに出ることができた。

振り返ると高校を卒業して以来、
仕事をしていなかった期間は出産前後の一時期だけだ。

今では「働けるということは、精神的にも経済的にも自分を豊かにすること」
と子供たちが2歳になって保育園に入り、同居を解消するまでの期間、
育児に協力をしてくれた義母に心から感謝をしている。

保育園ママ友たちとの交流で、自分の意思で動くことを初めて知った

同居を解消して、夫の実家から少し離れた場所へ転居した。
そこでKさんのこれまでの生活とは、一変した環境になる。

保育園ママ友たちと幼稚園ママたちとの大きな違いは、全員が働くママさんということ。
働いているママたちは自分の仕事で精一杯だから、他人への干渉が薄い。

結婚するまで実家暮らしだし、出産後は義両親との同居をしていたから、
誰かしらKさんの言動に対して、口を挟む人間がいた。

人の顔色を見て、人の意見に従う習慣が付いていたKさんにとって、
生まれて初めて誰からも干渉をされない環境に、身を置くことになった。

そのことにものすごい衝撃を受けた。
そこから徐々に「誰かに従わなければならない」という気持ちを解放していくことができた。

夫とかみ合わないただ1つのこと

寂しい生育歴だったのに、誰も恨まず、仕事も家庭も頑張ってきたKさん。

結婚をして以来それまでの人生が嘘のように切り開けたのは、
Kさんの純粋でおおらかな性格と、周囲の人に恵まれた幸運に見える。

しかしながらKさんには、1つだけ悩みがある。
「夫が子供のことを見ていない」という部分だ。

夫は自分の嫌なことは一切やらない、自由奔放に生きていたい人。
それは夫の母親があまりにも完璧だった反動ではないか?と思っている。

その夫に合わせられるのは世界中でKさんしかいないと、
Kさんの義姉妹たちから高い評価をされるほど、夫には変わっている部分があるのだそう。

Kさんにとって「子供を見てほしい」その1点だけが気になっているけれども、
その他の夫の変わっている部分は、特に気にならない。

けれども「夫が子供を見ていない」ということが理由で、最近大きな喧嘩をした。

喧嘩のきっかけは、娘のドッヂボール大会の出場を巡ってのことだった。
その大会は娘にとっては最後の試合で、大切なもの。
また試合後には祝賀会があり、Kさんも料理を持ち込む係だった。

その前日までに夫が娘にやるように伝えていた課題をしていなかったという理由で、
大会に出ることを娘に禁じていた。

そのときにKさんは「場合によっては、料理が出せないかもしれない」と言って、
同じく参加するママ友に電話をするつもりが、電話口で泣き出してしまった。

Kさんが泣いている様子を見た夫は呆れて「大会に出てもいい」としぶしぶ当日の朝許可をした。

そこまではよかったし大会後の祝賀会に出ることも伝えていた。
でも会が終わる時間の認識が夫婦で大きくずれていたことで、もう一波乱があった。

夫はKさんと娘が夕方には帰ってくるだろうと思っていたし、
Kさんは会が21時まであることを夫が理解をしていると思い込んでいた。

だけれども家に帰ると、
「前の日あんなに揉めたのに、こんなに帰宅が遅いとはなにごとだ!」
と夫は部屋にチェーンを掛けて、娘ごと家に入れないようにしていた。

30分ほどドアの隙間越しに「ごめんなさい、話を聞いて」と頼んだけれども、
時間が時間だけにご近所の迷惑も考えなければならない。

その日は交渉を諦めて、近所のホテルで娘と2人夜を明かした。
この事件で「夫は自分のこと以外のことは、見ているようで見ていないのだ」と思った。

見方を変える大切さ

けれども夫も当日の朝になって「出てもいい」と言ってきたように、
自分や子供に愛情があるし、気を使っていることもよくわかっているつもりだ。

わかっていても、子供のことをもっと知ってほしい。
見てほしいと思ってしまう。

子供の頃、自分の家族にあまりいい思い出がないから、
自分の子供には同じような思いをさせたくない。
子供には愛情いっぱいで育てたい。どうしてもそう思ってしまうのだろう。

けれどもこれまで10年ほど結婚していて、夫の好き勝手はどうしても変わらなかった。
どうすればこの先、夫に育児に協力的になってもらえるだろう?と悩んでいた。

私はKさんがこれ以上子供の願いを叶えてあげる、いいお母さんでいる必要はないと思う。
今だって十分、Kさんはいい母親だし、子供たちも優しく健康に育っていることを聞いた。

それなのに子供たちの願いを叶えることに一生懸命になりすぎて、
夫と喧嘩になり、子供たちに悲しい思いをさせることの方が、もったいないと思う。

「夫は夫で、KさんはKさん」の部分も残しておかないと、窮屈な家庭になってしまう。
Kさんの持つおおらかさで夫はアトピーまで克服したし、双子のお子さんたちにも恵まれた。

夫の嫌がることを「やりたいこと」に変えるということは、
夫が夫のままでいることを変えて、別の考え方を持つように仕向けることになる。
どれだけ相性のいい2人でも、本人がそうなりたいと望まない限り、激しい抵抗を受けてしまうだろう。

それよりもKさんの本来持つおおらかさや、温かな心を大切にして、
家族でノビノビと毎日を笑って過ごすことの方が、子供の情緒のためにもどれほどいいだろう。

ご縁があって「濃い」環境から抜け出して得られた幸せを、大切にしていただきたい。


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