愛情不足で育った人は他者へ過剰に親切にするか、すぐあきらめてしまうかに別れやすい傾向にある

夫婦が不和の家庭や、親から自己実現の道具にされて育ってしまった人は、根っ子に愛情不足を抱えている人がほとんどです。

自己実現の道具というのは「あなた(子供)のため」だという大義名分のもと、親の自己実現の手助けをするほど能力があったということでもあります。

けれども「子供には子供の人生がある」と子供を社会へ健康的に返すための教育をしている親は、自分への手助けと子供のためは明確に分けています。

そうして自分の手助けをさせる場合は「自分のために」とお願いする力を持っています。

要は目的の違いです。

子供を1人の人格だと生まれたときから認めて、自分がいなくなっても生きていけるよう教育をするか、親が死ぬまで自分の楽をするために子供を僕のように扱ってしまうかの違いなのです。

例えば自分の悪口を言う他者がいたとして、その人へ何か言いたい。

けれども自分が言うと他者からの反撃が怖いから、子供を兵隊のように差し出して自分の代弁をさせる。

自分の欲しくない物を子供に処分させようとするなど、マインドコントロールしやすい子供ほど選ばれる頻度が高くなります。

すると子供はしなくてもいい親切を親へすることに慣れてしまい、大人になって対外的にもやたらと愛想が良くなったり、過剰に親切になります。

あるいは親が自分へ行っていたように対外的に自分の願望は口にせず、相手へ自分を特別視させるようコントロールを始めたりもします。

また後者の人たちは非常に損得勘定に敏感で、自分の得になりそうな人には異常に世話を焼き、得にならないとわかると自分の世話を焼かせようとしてしまいます。

なかなか他者へは理解されない独特の心理構造

この思考回路は独特で、なかなか健全な親の元で育った人たちには理解ができません。

また本人たちも自分が他者へよくするわりには、他者は自分へよくしてくれないという不足感がでてきます。

そもそも人はコントロールされることを嫌いますから、自分が相手をコントロールしていることには気がつかなくても「嫌われる」という事実だけが残る。

他者へ無意識に自分を特別視させようとしていることに気がついてはいないけど、他者から嫌われていることだけは肌で感じて悩んでしまう。

また「理解をされない自分がおかしいのか?イヤ、おかしくないだろう」と不安なため、更に親切を加速させて自分の功績を認めさせようとしてしまいます。

親の僕になれる人は、自分の僕になれることを理解してもらいたい

愛情不足で育った人は他者の僕になることが得意なので「僕になりたい人募集中」の人へ自然となびいてしまいます。

そうして親と同じく他者からも利用されるだけされて「自分にはなにもよい記憶が残らない」という空虚な現実が待っています。

結果「誰も彼もが信じられない」という極端な心境へ陥り、自分の殻へ閉じこもって世界を狭めて行ってしまいます。

けれども本来は誰もが誰かの僕にはなり得ず、心は自由なのです。

健全な心の親と、不健康な親に育てられたということで、他者から理解に苦しまれるほど対人関係に違いが出てしまいます。

育った環境はとても大切です、けれども悩みの根っ子にこのような事実が埋まっていることを知ることで、生きづらかった人生が生きやすくなる方向性は見えてきます。

そうして「誰かの僕になる力」も誰でもが持っている能力でもありません。

エゴの強い親からの過剰な要求に応えるための訓練で、身につけた財産とも言えます。

だからその力を「自分の要求に応える為の力」へと使ってみてください。

自分が疲れることは、相手も疲れる

たとえばあなたから過剰な親切を受けた場合、受けた側は「なにか下心でもあるのではないか?怪しい」と重苦しく感じるのが普通です。

そうして重苦しい親切を避けようと相手は逃げるので、追いかけてでも「親切なのだとわかってほしい」となり自分も疲弊します。

つまり自分が疲弊することは、相手も疲弊させているだけで親切も「過剰」なことは親切ではないのです。

それを理解したうえで、自分が相手から拒絶されても疲れないことを選択する必要があります。

例えば困っている相手に何かを与えて「それは自分の望んでいるものではない」と拒絶を受けたとします。

愛情不足で育った人は「じゃあ何だったら満足してもらえるのだろう?」と次々と相手の要求する物を探そうとして、相手の困っていることを僕となり解消してあげようとしがちです。

そうではなく「この人は自分の好意を受け取る力のない人」という事実に則した考え方ができれば、その次の行動が変わっていきます。

少なくとも「自分がなにか悪いことをした」という自分責めは起こらないはずですし、その人へ好意を示すことはしなくなります。

また相手に「受け取る力のない人ね」と伝えるのでさえ面倒くさい作業ですから、黙って相手から自分が遠ざかることも自分を楽にします。

自分が自分の僕となり自分を疲れさせない手立てを探す習慣で、何度も相手の僕になる回避方法を経験して、頭と体に快感を覚えこませるのです。

次第に「自分を疲れさせない」ことが行動の基準となり、同じ親切でも過剰さは抜けていきます。

他者へ役に立つ能力を「自分を疲れさせない」トレーニングに代えてまず自分を楽にする。

過剰な親切を求める搾取主義の人たちは、あなたへ近寄れなくなりさらにあなたは楽になります。

そうして「下心」をまったく感じさせない重苦しくない親切心を人へ向ければ、自分の好む相手から好意的に受け取られ愛されることでしょう。


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