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向精神薬の摂取は自殺願望を高める

20代のころ睡眠障害にかかり、6年間ほど睡眠導入剤のお世話にならなければならなかった。
最初は「少しの間、薬を服用して様子を見ましょう」ということだった。

眠れないと睡眠導入剤や、精神安定剤のお世話になる人は多いし、どうしても薬に頼らなければならない時期もある。
けれども長い期間の服用は絶対にオススメしない。

これは薬の服用経験のある人の多くが語ることだけれど、薬の服用期間中の「自殺願望」はとても強くなる。
実際これらの薬の使用説明書には「自殺念慮、自殺企画があらわれることがある」という注意書きが副作用の欄に書いてあるものが多い。

「自殺願望がある」と医師へ伝えると次に「うつ」という診断が増え睡眠導入剤の他に、抗うつ薬の処方が医師から足され薬は増えて行く。
処方通りの薬を服用し続けると「自殺願望」はどんどん強くなっていくということを、まず知っておいてほしい。

私もご多分に漏れず薬が増え続けてしまったことで自殺願望が強くなり、それがまさか薬の副作用からくるものとも知らず苦しんでいた。
そのとき別の心療内科の医師から「どんどん厚化粧が濃くなるようなもの」と対処療法ではなく、根治療法を勧められた。

そこから薬に頼らず、食事や東洋医学での食事療法を勉強をするきっかけとなった。

また自分の内なる問題に(育った環境「生育歴」から生じやすい心理的なストレス)向き合うきっかけになったことで、もう20年以上、向精神薬のお世話になっていない。

誤解のないように言っておくと薬や対処療法を否定しているわけではなく、どうにもならないときには必要な場合もある。
対処療法を根治療法と思い違えて、そこへすがり続けてしまうことに問題があるということだ。

きついときは、薬をどんどん出してくれて一時的にでも症状を軽くしてくれる医師が「良い医師」と信じて頼ってしまう。
けれども本当のいい医師は薬を極力出さずに、その他の提案をしてくれる医師がいちばん良い医師だ。
なので重度の不眠やうつに悩む人はできるだけ薬を減らす方針で、薬以外の対応の提案をしてくれる医師を探すことがとても大切だ。

見守る家族はどうすればいいのか?

また見守る家族も患者本人の心になにが起きているのかがわからず、どう対処をしていいのかわからずに苦しむ。
「家族なのだから自分たちが、なんとか元気にしないと」という心理も働くけれども、それはかなり難しい。

なぜならば見守る家族の「元気になってほしい」という願望が、プレッシャーとして患者へ届いてしまうからだ。
本人だけのために元気になるのと「家族を喜ばせるため、安心させるため」とは目的が大きく異なる。
その目的のズレが心の闇や焦りを、より一層深くしてしまう。

それでも放っておくことは、なかなかできないだろう。
そんなときに家族にできる最善のことは、本人が不安に思っていることを話したくなったときに聞いてあげることだ。

  1. たとえ理解のできない想いや考えでも「自分はこう思う(否定)、その悩みをこう克服した」とか「そんなこと大したことではない」などと悩みを評価しない、話を遮らない。
  2. 悲しかったこと、辛かったことを話し始めたら「そうなんだね、それは悲しいね」といったん引き取る。
  3. 1の発言と矛盾をしてしまうけど「死にたい」とつぶやかれたときだけは「(家族は)イヤだ、あなたが死んだら自分はとても悲しい」ということだけは、はっきりと強く伝える。(愛情の確認になる)
  4. 1〜3の手順を繰り返し行って、少し元気になったら「元気になるためにはどういう風になりたいか?」を聞いてあげる
  5. 死にたくなる一因として、薬の大量(もしくは長期)服用もあることを伝える。なので「死にたくなっているのは本当はあなたの心のせいだけではなく、薬の副作用でもあるのだ」と伝えることで「死にたい」と思う罪悪感が多少は薄まる。

これらの作業を繰り返すことは、焦りも禁物だし時間もかかり、とても忍耐の必要なことだと思う。

けれども1〜4の欲求が幼少期に聞き届けられず、現在も埋まらずにいる「心の闇」なのだ。
取り戻すのには力の個人差もあるし、長い年月埋められなかった穴を埋めることは時間がかかる可能性もある。

でも患者は感情のムラが激しいので、話を聞いて欲しいのは毎日のことではない。
それと受け入れ側の心が不安定な状態なら、決してやらないほうがいい。

また1と2の作業はカウンセラーやセラピストにも依頼ができるので、患者の話がしやすい相手を探すことも有益だ。

患者が男性の場合は「弱みを見せたくない」という理由から、家族よりもセラピストの方が話がしやすいということもある。
とにかく批判をしない相手に、ゆっくりと話を聞いてもらい「心の闇」の存在を患者が自分自身で知ることから始まる。

死にたくなっているときの本音

「死にたい」と口にする人は「死にたい」と思う自分の気持ちを恥じている。
だからあたかも「お腹が空いた」と同様な、軽いものいいで「死にたい」という言葉を口にしているように周りの人間には聞こえてしまう。

それと「死にたい」と言葉にしているうちは、まだ救いがある。
そうしてこれは決して甘えとか嘘ではなく、本音なのだということもわかって軽視しないでいただきたい。

また「死にたい」と発する者の本当の言葉は「寂しくて不安だ」という言葉と同義語だ。
幼少期に甘えることが許されなかった、甘えるのが下手な人の「意訳」した言葉なのだ。

「死にたい」と言われたら甘えているように聞こえて、腹も立つだろう。
けれども「寂しくて不安」と言われたなら、少しは解放するための協力の手立てを一緒に探してあげられないだろうか?

「寂しくなくするためにはどうすればいいか?」「不安を解消するためには、なにをすればいいか?」という方向で話しができる。

薬を減らす努力も「死にたい」という気持ちを手放すことも、本当に弱ってしまったら自分1人の力ではできない。
だけれども3〜5の作業は、家族やそれに価する近しい者にしかできない。

「安心して甘えられる」という経験は、専門家といえども施してあげられない大切な治療なのだ。

精神的に不安感を抱えている本人は、得体の知れない「心の闇」がわからず、とにかく苦しい。
けれども、その患者を抱える家族もとても苦しい。

「死にたい」と思ったことがあり「死にたい」と口にする家族を抱えたこともある人間として、死にたくなってしまった人とどのように接するか?は私の長年の課題でもある。

これを読んでくださった方々が少しでも「死にたい」と言っている人の気持ちを、ご理解いただければとの願いを込めて書いた。


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