「来月、女性から男性へと性別を変えようと思います」
30歳の性同一性障害の方から、メールが届いた。
手術を受けるという人生の転換期。
自分の人生を振り返ってみたいと思っていたところに、
私の傾聴ライティングを知り、ご応募いただいた。
都内在住ヨシユキさん。
ヨシユキさんはスーツ姿でネクタイを締めて、
待ち合わせの場所へ訪れてくれた。
手術前だからマニッシュな格好の、
女性が来るのだと私は思っていた。
しかしながら現れた人はどこからどう見ても、
完璧な男性だった。
声も男性だし、うっすらと髭も生えている。
店員さんに飲み物を頼もうと声を掛けても
気が付いてもらえない私の様子を見ると、
ヨシユキさんはスッと立ち上がり、
呼びに行ってくれたジェントルマンだ。
手術をしなくても、このままではいけないのだろうか?
という疑問がどうしても生じる。
熱心な信仰を持つ家族
両親は敬虔なモルモン教の信徒として出会って結婚した。
そうして4人の女の子が生まれた。
ヨシユキさんは一番末っ子だった。
一番上の姉とは7歳離れている。
次女は5歳差、三女とは3歳差だ。
家族全員モルモン教徒として、育てられた。
キリスト教の一派であるモルモン教は、
他のキリスト教徒と少し異なる戒律を持っている。
カフェイン、タバコ、アルコールは厳禁。
男女交際に関しても厳しい。
そうして最もヨシユキさんが苦痛だったのは、
「女の子は女の子らしく」
という部分だった。
女性性に違和感があったのは、
物心が付いたときからだった。
一番古い記憶で幼稚園の頃には、
既に自分は女の子ではないと思っていたと言う。
洋服も男の子の色や格好を好んだし、
遊ぶのも男の子とばかりだった。
男女別に行う運動の時など、
とにかく女子の中に属していることが嫌だった。
毎週日曜日になると、家族と一緒に教会へ行く。
普段は男の子のような格好を許されていた。
けれども教会は正装して行く場所だ。
スカートを履かされて、女の子らしい格好になる。
ヨシユキさんはモルモン教の教えは、
今でも素晴らしいと思っている。
けれども「女らしく」ということだけは
受け入れられないことだった。
ヨシユキさんは18歳で大学を浪人をした際、
郊外の自宅を離れ、
新聞奨学生として都内に住み始めて以来、
ずっとモルモン教徒としての教義から
離れた暮らしを送っている。
お酒も飲むし、タバコも吸う。
インタビュー中もアイスコーヒーを飲んでいた。
そのグラスを持ち上げて、
「今でもこういう物を飲むときに、
ふと罪悪感を感じてしまうことはあります。
0歳の頃から教えられていることですからね。
それはずっと抜けない感情なのだろうなと思います」
と少し苦笑いを浮かべた。
ずっと自分がおかしいと思っていた。
自分の性別が社会に適応していないことは、
誰にも理解をしてもらえないと、思っていた。
自分はおかしいのだから、人には言ってはいけない。
「性同一性障害」という言葉が世の中まだ広まっていない時代だ。
今のようにインターネットで検索して、
同じ考えを持つ人を探すこともできない。
誰にも相談できずに、自分の殻に閉じこもっていった。
中学や高校に入っても、
制服は女性物を着なければならない。
性別に疑問も違和感もなく育った者たちには、
想像もしたことのない苦痛が、
性同一性障害者の日々の中にあることを私は初めて知った。
今は同じ障害を持つ人たちが、
活動をしてくれているおかげで、
少しずつ制服に関する配慮が広まっているという。
殻に閉じこもっていたことは今でも影響している。
人前に出るのが苦手だから、うまく友達ができない。
徐々に友達はできるようになってきたけれども、
年上で世話好きの女性が多いという。
同年代の男女とは、どう接していいのかわからない。
学生時代に同年代と関わることが難しかったのだから、
仕方のないことなのだ。
自分がどういう風に、生きていればいいのかわからない。
このまま大人になっても何も楽しくない。
そんな青春時代を過ごしていた。
そうして将来の目標もまだない。
就職したくても、面接へ行けない。
ヨシユキさんは浪人をした後、大学へは行っていない。
自分が大人になる姿が楽しいものとは思えないのだから、
勉学にも熱が入らない。
実家へ戻ることにした。
就職の面接を受けるにしても、
履歴書の自分の性別と同じ格好をして行くことに、
抵抗感が生じて、二の足を踏んでしまう。
アルバイトなら、そこまで考えなくてもいい。
けれども正社員雇用で面接を受けたければ、
やはり女性の格好をしなければならない。
男性が女装をして、面接を受けに行くようなものだ。
これが最大のネックとなり、就活はできないでいた。
還暦の父からのメッセージ
末っ子だった自分は親から見れば、
可愛くて仕方がない子なのだと思っている。
姉たちからも
「姉妹の中でいちばん甘やかされていた」
と言われている。
けれども親も性同一性障害のヨシユキさんに、
どう接していいのかわからないのではないだろうか?
とヨシユキさんは感じていた。
そんな親へヨシユキさんも、
どう接し返していいのかわからないでいる。
甘えるというのはどういうことなのかが、わからない。
実家へ戻っても家には、ほとんどいない生活。
外で朝まで飲み歩いたり、たくさんお金も使って、
親にも迷惑をかけていた。
アルコールが教義で禁止されている家庭の子が
飲み歩くということと、
そうでない家庭の子が飲み歩くのとでは、
同じ行動でも重みが違う。
「親としては悲しかったのではないでしょうかね?」
と見守ってくれていたことを、申し訳なく感じている。
3年前父が還暦と、定年退職を同時に迎えた。
お祝いの席で父は、子供たち全員にメッセージを
書いたものをくれた。
ヨシユキさんへ向けて書かれていたのは、
「いいかげん地に足を着けろ」
というメッセージだった。
根無し草の生活を長い間送ってきたヨシユキさんにとって、
「地に足を着けるためには、
いい加減決断しなければならないことが、
いろいろあるな」
と思わせるきっかけになった。
第2話へつづく
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