よくなることに痛みはついてくる
病気で考えるとわかりやすいので、インフルエンザを例えに書いてみます。
インフルエンザのウィルスに感染して発症する人としない人に分かれるのは、1人1人の持つ自己免疫力の差です。
インフルエンザの高熱は苦しいです。
なぜそれほど高い熱を出す必要があるかといえば、体に溜まっている毒素である重金属を燃やすのに、それだけの高熱が必要なのです。
40度前後の高熱を出す苦しみに数日耐えると重金属も燃やし尽くされ、がん細胞まで死滅します。
体に毒になるものを熱が燃やしてくれて、自己免疫力も上がります。
このように体に必要な反応が起こることで、体は強く生まれ変わるのです。
人間の心も自浄作用を持っています
自分やその他の多くの人たちを見ていても、よくなる前には大きな困難が起きていることが多いです。
体が高熱を出して自浄をしようとするように、心も自浄させることを本能的に選んでいる気がします。
溜め込んでしまった心の毒が多ければ多いほど、燃やすためには大変なエネルギーが必要です。
熱を出す必要のあるときに安易に薬で熱を下げてしまうと、毒素は体のなかに留まり続けます。
(注意*ご老人や子供さん、極端に体の弱った人たちの解熱は必要です*)
心を自浄する痛みを安易な快楽などでごまかしてしまうと、ただ少しきつかったというだけで浄化はされません。
そのときにできることは嵐が過ぎ去るまで、できるだけ消耗しないように待ち、過ぎ去った後で心の毒を溜め込まない対策を考える。
病んでる体や心で行った判断や作業の効率は、元気な体と心で行ったものとは比べものにならないのです。
そうして大きな変化が周囲に訪れるのは、ごくごく自然な流れだと思えます。
だから痛みを恐れずに
痛みや苦痛、困難が起きたときは焦っても無駄です。
「なぜ自分が?」と考えたところで、起こった事実はいなくなってはくれません。
それよりも今ここで切り抜けるには、紛らわしてはいけないと考えるのです。
他者へ八つ当たりや責任転嫁をしても、解決はしません。
自分で溜め込んだ毒は自分で燃やし尽くせば、必ず健康になります。
真っ暗闇のなかを前へ進むには、希望という灯が必要です
今年の初夏に行った山中で「漆黒の闇」というものを経験しました。
街灯も月明かりもなく、本当に真っ暗でした。
突然真っ暗闇のなかを歩こうとしても、目的地へ向かうほんの数百メートルの距離が怖くて歩けないのです。
「障害物にぶつかるのではないか?動物が出てくるのではないか?」などさまざまな恐怖に襲われました。
たまたまそのとき私のスマフォに停電した際の対策用にと、懐中電灯のアプリをダウンロードしていたことを思い出しました。
たったスマフォ1つの弱い灯が、そのときどれだけありがたかったことか。
すぐに歩いて目的地へ到着できました。
大きな事件が襲ってきたときは、心が真っ暗闇で襲われたのと同じ状態だと考えます。
しかしながらわずかでも灯があれば、恐怖心は消え去るのです。
そのときの灯は「希望」でしかなく、この闇を抜けたら「大きな変化」という希望があると信じていればいい。
恐怖にすくんで、その場へしゃがみ込むことのないように。
自分をよくする方向へ導くための闇を敵だと思わず、自分の味方なのだと仲良くしてください。
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