
パステルカラーのファッションに、白い肌がよく映える。
都内在住で40代前半の女性、まるさん。
さわやかな出で立ちで待ち合わせの場所へあらわれた。
理知的な顔立ちなのだけど、笑うととても幼い顔になる。
すごく若く見えて、本当の年齢を聞いたときに驚いた。
親に会いたくない
まるさんは現在親元を離れて一人暮らしをしているが、
数ヶ月前まで実家で一緒に住んでいた。
これまで表面上は、親とうまくいっていたかのように思えていたけれど、
実はうまくいってなどいないのではないだろうか?
と前々から感じて始めた一人暮らしだった。
親に会いたくないという感情が湧きあがるのも、
今までの人生で起こった自分自身のさまざまな紆余曲折も、
自分の生育歴が大きく関わっているのではないか?
という疑問を抱き、傾聴ライティングをご利用された。
実家は現在の住居から電車で1時間もかからない場所にあるが、
数ヶ月前に一度帰ったっきり。
数ヶ月前に一度帰ったっきり。
「親に会いたくない」という気持ちが、そうさせていた。
親とのコミュニケーションが取りにくいと感じ始めたのは、
小学校に上がった頃からだった。
酒を飲むと暴れる父、幼い私に愚痴を聞かせる母
両親が喧嘩をしていたのが、とても辛かった。
父は仕事で疲れて帰ってきてお酒を飲むと、
酔った勢いで母へ八つ当たりをする人だった。
酔った勢いで母へ八つ当たりをする人だった。
母に直接手をあげることはしなかったが、怒る原因は些細なことだった。
夕飯が出てくるタイミングが遅いと、
テーブルの上の皿を投げつけたり怒鳴り散らす。
一緒に食卓を囲んでいる幼稚園生のまるさんが怖くて泣き出すと、
「なにをグズグズ泣いている!」と今度はまるさんへ怒鳴りつける。
そんな悲惨な食事風景を、ひたすら我慢するしかなかった。
そんな悲惨な食事風景を、ひたすら我慢するしかなかった。
一方で母からは常に愚痴の聞き役をさせられていた。
「お父さんとの結婚は失敗だった」
「自分に収入を得る術はないからお父さんと別れれば、
子供を育てられなくなる。だから別れられない」
まるさんに向かって母は
「私の人生はつまらない」ということもこぼしていた。
挙句の果てに「 子供なんていない方がよかった」
と母に面と向かって言われたことは、はっきりと脳裏に焼き付いている。
母にはなにかにつけて周囲と比べる癖もあった。
親戚と比べてうちは……。
ご近所さんと比べてうちは……。
といろいろな人たちと比べて、不幸な自分を嘆いていた。
「自分の家は他の家より劣っているのだろう」
と愚痴を聞くたびに思うので、自分の家庭のことをよその人へは言えない。
まるさんのこともよその子と比較をされるので、いつも不満だった。
親からほめてもらったことなどない。
幼いまるさんに父の愚痴を聞かせているのに、母の父に対する評価は矛盾していた。
「お父さんの言っていることは正しい」
といつも父親を肯定することを言って聞かせられていた。
私よりお父さんの方が大切なのね
子供のころから父が暴れることも、
母が愚痴を言いながらも「父は正しい」ということも、
よその子と比べられてほめてもらえないことも、
全部まるさんにとっては日常だった。
だから「これが普通なのだろう」と思い込むことしかできなかった。
自分の家庭の異常さには、目を向けたことがなかった。
また家では父が怒鳴っていたり、
母から一方的に愚痴のはけ口にされていたことで、
まるさんの話を聞いてくれる相手は誰もいなかった。
それゆえすっかり自分の気持ちにもフタをかぶせたようになってしまい、
思っていることを口に出すことがとても苦手な子だった。
小学生のころは本当に話ができず、
「暗い」と言われ友達もぜんぜんいなかった。
これに対しても母からは
「なんで友達を作らないの?AちゃんはBちゃんと遊んでいるのに」
と腹立たしそうに比べられて責められる。
「私は私で精一杯やっているけど、できないのだから仕方がないじゃん」
と心の中でずっと思っていた。
まるさんを取り囲む環境では、誰も彼もが厳しかった。
「父は正しい」と言われるのを聞けば
「 母にとって、私より父の方が大切なのかな?」
と誰からも大切にされていない気持ちを抱きながら育った。
少しずつ人とコミュニケーションを取り始めた
子供のころから不安定な親子関係の中で育ち、
まるさんは精神的に不安定だったり、マイナス思考でクヨクヨして、
落ち込むことも多かった。
短大へ上がると書道や、バドミントンのサークルに入った。
そこから徐々にだけれども、他者とコミュニケーションを取れるようにはなってきた。
今では初対面の人でなければ、人と接するのは苦手ではなくなった。
けれどもこのころはまだ自分の気持ちを出すことは苦手で、
短大を卒業しても社会に出る自信が持てないでいた。
卒業をしてからアルバイトをしながら夜間の専門学校へ行った後、
引き続き別の専門学校へも進んだ。
現在はこの2つの専門学校での知識をフルに使いながらする仕事に就くことができた。
この仕事に就いて3年ほどが経ち、今では仕事に大変満足をしている。
けれどもそこへ行き着くまでに、膨大な紆余曲折があった。
第2話へつづく
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