親を親だと考えると、依存されやすい
私へ相談に来られる方々で「親とどのていど距離を取っていいのかわからない」と離れることに、罪悪感を示していることが多いです。
そういった場合「親御さんが他人なら、友達でいられますか?」と問いかけると一様に「無理です」と全員がお答えになります。
友達ではなく親だから、自分が無理をしなければならないということです。
仕事が忙しくても、自分の寂しさをこらえきれない親に振り回される。
疲れているのに親の愚痴を聞かされる。
いつも自分の動きを親に合わせてきた人たちは、それが自分のパターンとなってしまい疲れているのです。
親は親で「いつものこと」だと、自分たちが無理難題を言っていることに気がつきません。
親も人間なのです
良くも悪くも親も人間です。
成熟した親もいれば、いくつになっても幼い考え方が抜けきらないままの人もいます。
親自身が愛情不足で育ったのなら、子供に親からもらえなかった愛情をもらいたいという気持ちも発生します。
無意識で嫉妬もしますし、子供のやりたいことを妨害もする1人の人間に過ぎないのです。
そう考えれば親というくくりを外して「友人関係」という観点でみることも可能ではないでしょうか?
なぜならばどの人にとっても親との心理的距離は、他人より圧倒的に近いのです。
友人でもいられない相手ととても近い心理的な距離にいれば、自分がどうなってしまうのかということを考えてみてください。
ものすごいストレスだと思いますし、恨み心も半端なく積もります。
自分を毒してまで離れずにいようとすると、確実に心身ともに健康を害してしまいます。
親を友人に置き換えて考えることは、親を1人の大人として尊重することになります
四六時中自分に干渉する友人と、仲良くいることができますか?
いつも自分の都合で振り回す友人と、心おだやかに過ごすことができますか?
なにかにつけてやっかんでくる友人と、楽しく会話が成立しますか?
そんな人たちが、あなたの幸せを考えてくれていると思えますか?
親の問題を背負いこんでしまったら、自分が破滅します
相互に愛情がなければ、円滑な人間関係は成立しないのです。
また親の不仲や、心の不足感はすべて親自身にしか解決できません。
友人夫婦の喧嘩に介入できないのも、友人の幼少時に発生した心の不足感を、あなたが親に代わって埋めてあげられないのと同じことです。
その人たちが自分たちの意思で、子供に依存しない形を探しだそうとしない限り、誰の力も及ばないのです。
そんななかで頼れるあなたの存在は、親の依存を加速させてしまう恐れもあるでしょう。
年を取れば誰もが弱り、依存心は強くなります。
もともと強い依存心を抱えている人の依存は強くこそなっても、弱まることはないのです。
すでに疲れているとしたら、今後さらに強まるであろう親の依存心に耐えられますか?
依存に耐え抜けたとしても、あなたは幸せですか?満足ですか?
親を捨てるのではなく、自分の疲れを取るのが目的
疲れているときは、どんな人にも愛情を注げないでしょう。
たとえ愛おしい我が子でも、毎晩寝不足が続けば親だってイライラすると聞きます。
疲れている状態では、誰も幸せにしてあげることができないのです。
親から離れるのは決して親を捨てることではなく、あなた自身の疲れを取るためです。
案外疲れているのは、親だけのせいではないかもしれません。
それも離れてみなければわからないことですが、とにかく疲れ果てているのは事実なのです。
自分の蓄積した疲れを、取り去ることができるのも自分しかいません。
あなたの代わりに眠ってくれる人もいなければ、誰かが代わりに食べてくれてもお腹は満たされない。
だから心身の疲れが取れるまでは、依存から離れていましょう。
そうして優しく友達と接するくらいの心の距離を、親とも取れるようになるくらいに心の余裕を取り戻したらまた会えばいい。
親が距離を詰めているだけではなく「自分の罪悪感」を理由に、自分が近寄らせている可能性もあるのだと考えてみてください。
どの人との距離も自分次第で、イニシアチブが取れるのです!
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