親からつらい目にあわさてしまうのは
その人が悪いのではなく、
依存する者に依存させてあげられるだけの
パワーと優しさを持っている人
だということを昨日は書いた。
これはつらい目にあって
成長してしまった大人たちが、
自分でできる
「考え方の軌道修正」
としてのひとつの提案だ。
では親に頼るしかない幼い子供は
自己防衛ができないのか?
ということなのだが、
自己防衛ではないけれど、
他人でも守ってあげることはできる。
こういうときほど、
辛い思いを経験した人間にしかわからない理解と、
持って生まれた強いパワーが役に立つ。
自分で実践できていて、
効果があったことをお伝えする。
少子化のせいか
私の子供のころより今の子供たちは
とても丁寧に育てられている気がする。
そういう情景を見ると、とても安心する。
でもごくたまに子供を罵っていたり、
まだ小さくて可愛いばかりの年齢の子を、
家の外に締め出している場面に遭遇することがある。
罵っている場合
知り合いでもない限り注意などできない。
そもそも頭に血が上っている人は、
聞く耳などは持ち合わせていない。
子供がもっとひどい目に、
あわされる可能性もある。
そんなときは側に寄り
ひたすらジーっとその光景を見ている。
誰かと一緒のときは、
その人にも付き合ってもらい、
複数で無言でジーっと見ている。
最初は無視して子供を罵り続けているが、
さらに見つめ続けていると、
さすがに恥ずかしくなるのだろう。
「じゃあ行くわよ」
と言っていそいそと逃げていく。
また家の外に出されて泣いている子には、
近寄って行き
「どうしたの?」
と声をかける。
その子がなにか話をする場合は、
全部復唱することにしている。
「怒られちゃったのー?そっかー。
で、お家に誰かいるー?」
その子が家にいる人のことを言ったら
「お父さん呼びに行ってあげようか?
一人で泣いていたら危ないからね」
と言うと、だいたい誰か出てくる。
そうして
「すみません、勝手に外へ出て行ったみたいで……」
などの言い訳をしながらペコペコしている。
「そうですか、よかったです。
一人で泣いていたのでお留守かと思いました」
などと適当なことを言って別れる。
誰もが他人の視線には、敏感なのだ。
自分の幼いころの経験からいうと、
母が私に暴言を吐くのは、
決まって父のいない場所だった。
なにがいけなかったのだろう?http://nakanoseri.com/why/
いじめもそうではないだろうか?
ごく限られた人間で、
影でコソコソというのはよくあることで、
全校生徒や教師の集まっている校庭で、
いじめられているというのを聞いたことがない。
子供を罵ったり、
外へ追い出す親のなかには、
子供のころからの寂しさや怒りが
必ず隠れている。
こういったことを過剰にする人たちは、
ぶつけているのはその子のしたことに対する怒りでなく、
なにかの拍子に幼少期のフラッシュバックが起こり、
そのときの怒りや悲しみを
無意識で子供にぶつけているのだ。
私の母が私をデパートで私を「巻く」ということをしたのも、
捨てたがったのも、
自分が早くに親と死に別れなければならなかった、
どうしようもない悲しみと怒りがそうさせていた。
子供に自分の生育歴の怒りをぶつけているので、
頭に血が上っていることに気がつかない。
誰かからジーっと見られていることで、
初めて我に返り、いったん冷静になる。
外に出していた親は
どこかで子供の様子を観察していたから、
私が子供に声をかけることで
怒りが恥ずかしい気持ちに変わり、
迎えに出てくる。
あくまでもカーッとなった頭を
冷静にしてもらうのが目的だから、
「子供を外に出すなんて!」
などと怒ってはいけない。
せっかく冷静になった人を責めては逆効果だ。
フラッシュバックだということには気づかないだろうけど、
少なくとも一人でイライラするのではなく、
見守っている存在がいることが重要なほど孤独なのだ。
子供にとっても、
誰かの登場で多少の安心感が出る。
それがたとえ知らない人でも、
一人で震えて泣いているのとはまったく違う場面になる。
この他者の声かけがあるのとないのとでは、
子供の悲惨な記憶の残り方に、
後々かなりの差が出る。
またそのまま頭に上った血が下がらなければ、
ひどい折檻へエスカレートしてしまったり、
最悪死に至らしめる可能性もあるのではないだろうか?
これは見守ってくれている人がいるときに、
母の怒りがエスカレートしなかったという
経験を踏まえて私が実践していることだ。
だから万人に通用するわけではないが、
そういう場面に遭遇した際は
できることならば知らない人だからと、
通り過ぎないでいてほしい。
今までのところ、
その場をしのぐ程度には効果があっている。
この方法を実践するに至った、
もう一つのヒントがある。
新聞記者だった父は
「現場主義」
と言われる記者で、
現場へ行くことにこだわった。
アフリカの扮装地帯への取材にもよく行っていて、
そのときの話を聞かせてくれることがあった。
「記者たちが扮装地域に行けば
記者たちの目があるから、
虐殺はかなり防げるって思っているんだよ。
大量虐殺が行われるのは、
記者たちの集まらない密室状態の国だけ。
パパが兵士に自動小銃を突きつけられたときも、
もう一人違う記者が同行していたから
打たれなかったのだと思うよ」
視線を感じるというのは、
脅威でもあり本能に訴えかける力がある。
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