激しい夫婦喧嘩はしばらく続いた。
母の「死にたい」という言葉も、
日に何度もつぶやかれた。
午前中のインターから帰ってくると、
母が生きているのかを真っ先に確認する。
生きているのを確認して、
午後の日本人学校へ出かける。
帰ってくるとまた、
生きているかを確認する。
それから母の愚痴を子供なりに
一生懸命に聞いて、励ます。
母は居候のSさんとの生活も耐えられないし、
電話のヨーロッパ人女子とのことも許せない。
それに加えて家庭教師だった、
ダルエスサラーム大学生の女性が
あるパーティで
「 父と交際をしている」
と言って回っていたという。
全部本当のことだかはわからない。
父とこのことを話していないし、
母が自分の味方を作るため頻繁に、
私のことも小さな頃から嘘を言って回られたから。
残念ながら母子の信頼関係が希薄だ。
ヨーロッパ人女子は本当に
「父と婚約している」
と言ったのか?
家庭教師は本当に
「父と交際している」
と言ったのか?
母しかその真実は知らない。
それにこの憔悴している人を相手に
事実確認をしてどうなるというのだ?
もし事実だったとしたら、どうなるのだ?
少なくともSさんが非常識だったことや、
ヨーロッパ人女子から
電話がかかってきていたことだけは、
事実だ。
「死なないで」
というしかない私に母は
「私はあなたたち(子供たち)がいるから、
パパと別れるわけにはいかないの」
という言葉を繰り返していた。
私なりに考えて父に相談をしてみた。
「私たち子供だけで日本に帰るよ。
おばあちゃんの家で暮らすから。
だから私たちのせいで喧嘩をしないで」
父の顔つきがカッとなり、
「誰が君たちのせいで喧嘩していると言った!?」
私はまた喧嘩になることが怖かったから、
母のことは出さない。
「私がそう思っただけ」
そう言うと父はホッとしたと同時に、 悲しげな顔になり
「 君はそんな心配をしなくていい」
それだけ言って、この会話は終わった。
それから少しして、
居候のSさんは家から出て行った。
子供たちが学校へ行っている間に
父からの予告も、挨拶もなくいなくなっていた。
近所に部屋を借りて一人暮らしをすることになったそうだ。
Sさんが出て行った日、
使用人がSさんの使っていた私の部屋を掃除していると
母は涙ぐみながら
「早く(Sさんの)臭いが取れるといいね」
と言った。
そこからタンザニアを去るまでの約1年の間は、
これほどのひどい喧嘩をすることはもうなく、
私たちもなにごともなかったかのように、
日常に戻ることができた。
両親の激しい喧嘩を見ても、
楽しい学校での時間や、
インド洋の雄大な自然、
かわいいワンコたちが心の支えだった。
インターナショナル・スクールは休みの多い学校で、
夏休みは2ヶ月、冬休み、春休みはどちらも1ヶ月あった。
両親の喧嘩をしている期間が、
休暇中で毎日家にいることになったとしたら
私は完璧におかしくなっていたと思うほど、
この時期は本当にきつい日々だった。
日本人会の集まりでも両親に
「セリちゃんは大丈夫か?」
と会う人たちからしょっちゅう心配されていたことを、
日本に帰ってきてから聞かされた。
持ちこたえたと思っていたのは自分だけで、
よその人から見た私は、壊れかけていたのかもしれない。
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