悩みを誰かへ相談をしたときに、同時期にまったく別々の人たちから同じアドバイスをもらった経験はないだろうか?
そういったシンクロ(共時性)が自分の身の上に起きたとき、どう解釈するのかはそれぞれだ。
特定の信仰を持たない私だけれども「神様が(大きな力という意味)いろんな人を通じて、私になにかを訴えている」としか思えないようなことが、ときどき起こる。
これまでその「訴え」に従い、自分の考え方や方向性へのこだわりを緩めたら「心のどん詰まり」が解消して別の展開が起こることが多かった。
ブログもそのひとつだ。
1年前の今頃はブログを始める気などさらさらなくて、大手出版社の雑誌のライターになるための努力をしていた。
けれどもどれだけ企画を考えても、まったくGOサインが出ない。
ダメだしばかりの当時は、自分の企画を否定されることで、自分の能力を信じられなくなっていた。
そんなとき、ある人へ相談すると「ブログを始めなさい」と言われた。
「ブログがしたいわけではない!紙媒体のライターになりたいのに……」と、その人からのアドバイスをスルーした。
それでもダメ出しされることが続くと、もう読者が喜ぶ企画とはなんなのかさえわからなくなり、実際に雑誌を読んでも「これって面白いの?」とまったく共感もできなくなっていた。
次第に企画を立てることも、書くことにも気力を失っていった。
どうすればいいのだろう?
ライター自体が向いていないのかもしれない。諦めたほうがいいのだろうか?
と途方に暮れていたときに、再び違う人たちから「ブログを始めなさい」と言われることが立て続いた。
結局ブログを始めるまでの間に、私にブログを勧めてきた人たちは合計で4人にもなった!
最初に言われたときこそ「この人は私の悩みを聞いてくれていない。私がほしいアドバイスとは違う」と思ったのだけど、誰も彼もが私にブログ開設を勧める。
口裏を合わせているようだけど、その人たちは私以外とまったくつながりのない人たち。
「またブログを始めるように言われた!」ということが1、2ヶ月の短い期間で別々の人たちから言われれば、さすがに考えた。
なんだかわからないまま、まったく視野に入れていなかったブログを始める勉強をしてみようと思い立った。
ブログ術の講座へ行き、今はブログを毎日更新している。
1年前にダメだしされて、疲れ果てていた私はもういない。
そうして紙媒体のライターになろうと固執して疲弊していたら起こらなかったであろう展開が、自分の生活のなかに起きている。
またこうしてブログを書き続けてコンテンツを増やすことで、紙媒体のライターになる可能性もまだ残されている。
シンクロに委ね考えるのを止めて、アプローチの仕方を変えることで、次々と違う展開が起きた私の顕著な一例だった。
こんなことを書くのも、最近強烈なシンクロが次々に起こったからだ。
自分の個別セッションでクライアントさんへおこなったアドバイスの通りの発言が、アドバイスをした翌日に掲載されたある雑誌のコラムとシンクロしていた。
私がクライアントさんへお伝えしたアドバイスの根拠、理論展開までがまったく同じだったので「この人は私のセッションで、そば耳を立てて聞いていたのではないだろうか?」とゾワゾワしたほどだ。(そんなわけがない。笑)
また初めて参加したセミナーで、その日のテーマに沿った内容が、セミナー参加の2日前に書いた私のブログ内容と完璧にシンクロしていた。
もちろんセミナー講師の方は、私のブログの存在をそれまで知らない。
スマフォで自分の投稿をお見せすると、あまりの共時性に驚かれていた。
またセミナー中の別の話にも、数日前ある人と話したばかりの内容が次々に飛び出し鳥肌が立つ。
しかもその場にはこれまた偶然、数日前に話をした張本人も参加していて、お互いにあまりのシンクロ具合にアングリしながら顔を見合わせていた…….こんなことが次々に起きた。(その日のシンクロは、まだまだあるのだけど長くなるので割愛する)
これらのシンクロを通して神様は、私になにを伝えようとしているのだろう?と考えてみた。
「今の私の方向性は独りよがりでもないし、そのまま進めていい」という解釈をした。
自分の発言や発信することには、慎重さを要する。
ときには独りよがりになってはいないか?と自分の知識を疑い確認することもある。
けれどもこれだけ多くの人たちとのシンクロに出会えたということは、私の発言の大枠は独りよがりではないということが確認できて安心した。
みなさんもシンクロに出会ったときは、なにか大きな力に導かれていると思っていただきたい。
きっとその導きに従うことで、自分が思ってもみない展開が待ち受けている。
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